昨年末に浜松にあるわが家の墓を掃除しに行ってきました。長い間いろいろ理由をつけて足が遠のいていた実家のお墓。そこには代々の私のあまり知らない方々と一緒に私の父と母と、そして一昨年70歳で亡くなった一番上の姉も少しだけ分骨して、眠っています。もう誰も引き継ぐあてもなく、私の代で永代供養となる運命のお墓ですが、まあそれはいいとして、その墓のあるお寺は静岡県天竜市二俣町にある「清瀧寺」といいます。

皆さんご存じでしょうか、ここには徳川家康の長男信康のお墓があるのです。若くして切腹をさせられた戦国時代の悲運の武将、「清瀧寺」はこの信康を供養するために家康公により建立された寺なのです。そういえば庶民のお墓の山の上の方に、うら寂れた寺に似つかわしくない、何やら立派な門構えの信康廟(右写真)があったような気がします。数年前に大河ドラマで信康の悲運な生涯がクローズアップされた時は、マスコミや参拝者が多数押しかけて、それはもう賑やかだった!と寺の和尚が話していました。
画像出所:https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/miryoku/hakken/mesho/seryuji.html

さてもう一つ、この清瀧寺にゆかりのある人物が本田宗一郎さんです。彼はこのあたりの生まれで二俣の尋常高等小学校のころは、「“腹が減った”と授業中に教室から抜け出して裏山の清瀧寺の鐘楼に赴き、正午前に鐘を突き、持ってきた弁当を食べた」という実話が、清瀧寺の歴史の一部として語り継がれています。ここには「本田宗一郎ものづくり伝承館」という記念館もあり、珍しいバイクや様々なホンダの歴史を語る展示があって、それなりに楽しめます。

画像出所:https://honda-densyokan.com/

久しぶりに訪れた故郷の地で、懐かしい風景や空気に触れていると、様々な思い出が蘇ってきます。私は子供のころ、毎夏母に連れられてこの町に遊びに来るのが大好きでした。そこには母の姉である通称「ばあば」※実は叔母さん‥が待っていて、私たちを夏祭りや花火大会に連れて行ってくれました。私の母の実家はこの二俣町からさらに一時間ほど山深く入った所にあるのですが、そこはまさに別世界。大おじいちゃんの作ってくれたわらじを履いて、川で投網にかかったアユを素手で捕まえ、囲炉裏であぶって甘露煮にして食べました。時には険しく薄暗い山の中に入って原木のシイタケを採ったり水車小屋で水を汲んで遊んだりしたものです。甘露煮の香ばしくて甘辛いあの味、水車小屋の水の冷たさは忘れがたいものです。

ここでは山羊を飼っていて、その山羊のくさいお乳を飲むのが嫌で、押し入れに隠れたまま眠ってしまった思い出。朝ご飯用に中庭で飼っていたニワトリの卵を取ろうと手で触れた時の、あの生暖かい感触も。また裸になって、ヒヤッとするちょっと暗いお風呂に入ろうとして遭遇した、大きな蜘蛛とその巣にかかった蛾の死骸を目の当たりにした時の想像を絶する恐怖体験は今思い出してもぞっとします。

先日のユリイカのon-lineセミナーで、上田恵介先生のお話の最後に「確かな未来は懐かしい風景の中にある」という柳生博さんの言葉に触れた時、私は思わず子供の頃の、この田舎の感触を思い出し、私のデフォルトはこの風景の中にあったのだと確信しました。私が蜘蛛と蛾が大嫌いなのはこの時のバイオフォビアによるものなのだったのです。

自粛生活もはや2年、何かと引きこもり気味の生活も板についてきて、流れる時間との対峙の仕方も穏やかになってきたような気がします。犬や孫との散歩でも、野川のせせらぎやそこに集まる野鳥たちの声に耳を傾け、何気ない道端の雑草や木の葉の色姿の変化が美しいと感じるようになりました。

心ならずもコロナがデフォルト回帰への一つの転機になったのかもしれません。
(7期 梅原)

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