立教セカンドステージ大学へ入学した2014年は福岡市で10年間の教員生活を終えて藤沢市の自宅に戻った直後であった。大学教員の仕事は傍で見るほど楽でなく、それまでの全力疾走をクールダウンさせる機会とみてRSSCの7期生へ入学した。3回目の池袋キャンパスへ通学と新しいシニアのクラスメイトとの出会いは心地良く、古都・京都のゼミ旅行なども忘れがたい1ページである。
カリキュラムで最も力が入ったのが、内海靖彦先生の「現代史の中の自分史」だ。時系列に「小学校入学のころ」から始めて毎週4~5枚ずつ、先生のコメントを頂きつつ書き進め、150枚余りになり「古希までの来し方を辿る」~旅をめざし教育に至る~と題してほぼ完成の域に達した。先生から強く勧められた自費出版は家人の反対で今日まで日の目を見ていない。
私の出身は男子高で山岳部、1年のうち1カ月は山行の日々、いつの日か観光・旅行分野に関心を持ち、将来を見据えて観光に強みを持つ立教大学へ進学した。
就職は脇目も振らず旅行業界へ、最大手にフラれ二番手に入社できた。意に反して最初の19年間は裏方総務に回ったが、労務人事管理の基本を身に着けることができた。誘われて立教の卒業生で観光業界へ勤務する者の全国組織「立教観光クラブ」の幹事の一人として業界に多くの知己を得た。どこへ行っても例え初対面でも同窓の校友は快く迎えてくれて大きな力となった。
その後、海外業務や子会社へ出向などを経験し、50歳を過ぎて会社の№4の立場で創業の地・西日本エリアの総責任者として大阪へ赴任した。早速、市内で開く立教校友の定例集会に声がかかり、有力ホテルの支配人などと池袋の話題で花を咲かせることができた。
大阪での3年目、ちょうど米国同時多発テロ事件で社会が騒然とする頃、経営判断を誤り任期途中ながら立場を去り、東京の子会社へ異動になった。何とか首は繋がったが定年まであと2年、この機会に次の就活に狙いを定めて、立教大学大学院ビジネスデザイン研究科へ第1期生で入学した。社会人大学院だけに厳しいものはあったが、新たな学びの喜びと周りの人たちの助けで修士号を得た。
この時のクラスメイトA女史のご縁で福岡市にある大学の公募に合格して教員をすることになった。地方の中規模大学は身の丈に合った組織、これまでのマネジメント経験を生かせて人材育成の喜びも得ることができた。当地でも大学の鉄道研究会の後輩が地銀の役員に居て大いに力になってもらった。
自分史の原稿はここ70歳古希までを辿って終わっており、そのあとに冒頭に書いたRSSCのキャンパスライフが始まり、それも卒業して既に5年余りが経過している。
湘南立教会は鎌倉・藤沢・茅ケ崎市エリアにおける立教大学校友会の地域支部である。福岡からの帰任を待っていたかのように2016年3月から5年間、会長を仰せつかった。ビジネス社会と異なりボランティア組織の運営には独特の苦労があった。2018年3月、郭洋春前総長が就任直前に鎌倉プリンスでの定例総会に来賓として来会された。湘南の雰囲気に感動し、地元校友が長年熱望している箱根駅伝へ立教の挑戦に改めて認識をされた。同年10月の立教池袋キャンパス100周年の記念イベントの壇上で「立教創立150年2024年箱根駅伝」に出場すると宣言するきっかけになった。その実現の日も近いものと心待ちにしている。
こうして私の人生は立教に関わった人達に導かれて今日があり、いつも立教を愛すること人後に落ちないと公言してきた。一方で、新型コロナウイルスの感染拡大の陰に隠れるように自身は加齢とともに劣化が進んでいる。それではならじと病院通いを厭わず体調を整え、最近入った俳句の会で頭の体操に努めている。あと2年で80歳傘寿であるが、実はもう一つやりたいことが残っている。いつの日にか100日間世界一周クルーズである。(7期生 清水 誠)
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