古木のようになった柿の木が実家の庭に1本ある。どのような経緯で庭に柿が植えられることになったのかは、姉も私も知ることはできない。物心がついいた時から柿の木はあり、柿と共に姉と成長してきた。秋になると柿の実が食卓を賑わし、祖父母や父が柿を美味しそうに食べていた光景は今でも思い出すことができる。幼いときの私には、柿が身近にあり過ぎて美味しさや有り難さを感じないで、好んで食べることはなかった。そして時が過ぎ、柿を美味しく食べるのは祖父母や父から義兄と夫にバトンタッチされたが、今でも柿の木は秋になると甘くて美味しい実をつけ続けてくれる。

柿もぎの役割も祖父、父、義兄の順に交代していった。最近では鳥も柿の美味しさを知ったのか、色づいた柿をいち早く見つけて狙うようになってきている。都市化が進み、鳥のえさになる木の実が少なくなってきたのが理由なのかもしれない。今では鳥との競争をしながら義兄が収穫時期を見計らって柿もぎをしてくれる。私はというと、収穫の手伝いもせずに柿をもらって食べているばかりである。子供の頃とは違って、私も柿を父と同じように美味しく食べるようになった。毎年柿もぎの手伝いをと思ってはいるのだが、義兄の「柿が大好きだから、大丈夫だ!」の言葉と共に、段ボール箱に用意された柿をもらって食べているだけである。義兄の「柿が大好きだから、大丈夫だ!」の優しい言葉と共に食べる甘い柿も、来年の秋まで待つことになるので淋しく感じている。

この夏、実家の柿の木を見上げていると「柿の木も年をとったのかな?木の上のほうは葉が無いの!」と姉が教えてくれた。視線を上げると確かに葉が生い茂っているが、上の方は葉がなく枯れ枝のような部分だけがあり、青空をぽっかり覗くことができた。下の方には、たくさんの葉と実があるのに、不思議な気がしていた。しかし柿の収穫も終わり、葉も落ちて幹や枝だけになった古木のような柿の木を見ていて、ふと思ったことがある。もしかして、柿の木が他界した父や母が空の上から私たちの様子がよく見えるようにと、柿の木が樹冠部分の葉を無くしてしまったのかもしれないと思うようになった。それは、姉夫婦に2人目の孫が生まれたことに関係しているのかもしれない。コロナ渦で心配の種は尽きないこともあったが、新しい生命が誕生し、姉たちを始めみんなの幸せを少しでも空から見えるようにと、柿の木が葉を少なくしてくれたのだと思った。きっとその幸せで明るい時間を、父や母もそして祖父母も見守ってくれている気がしている。そしてそう信じている。

今年も残すことあとわずかで新しい年を迎えることになる。行く年を惜しみながら新しい年に希望を馳せ、たくさんの思い出のある実家の柿に見守られながら年末を過ごそうと思っている。
(7期:金子)

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