4月25日に3度目の緊急事態宣言が、東京都及び大阪府など関西圏に発出された。その後対象地域が拡大され、多くの店舗や商業施設が休業し、個人にも不要不急の外出自粛が求められている。まるで時計が1年前に逆戻りしたような感がある。そんな先の見通せない「コロナ禍」にあって、運動不足解消と気分転換ができる「散歩」は、数少ない楽しみの一つとなっている。

宣言前の4月中旬、片道40分の道程を、ツツジが満開でまさに見頃と聞いた根津神社まで、散歩の足を延ばした。神社に着くと、斜面一面に咲き誇るツツジが色鮮やかで、その期待以上の美しさには大変感激した。訪れる人の数も限られ、ゆっくり参拝を済ませた後の帰り道に、小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)にも、「久しぶりに立ち寄ってみよう」と急に思い立った。

小石川植物園は、小学生のころから度々訪れていたなじみの深い植物園である。入園料(大人500円)を払い中に入ると、午後の遅い時間のせいか人影もまばらであった。入口で「ハンカチの木がまだ見頃」と教えられ、早速『ハンカチの木』に向かうと、思ったほど多くはなかったが、木に残るハンカチ状の苞葉で包まれた花を確認できた。

納得してハンカチの木を離れる際に、予期せぬ収穫があった。近くに『旧小石川養生所の井戸』を見つけたのである。TVドラマ『大岡越前』などで度々登場する『小石川養生所』が、今の小石川植物園の中にあったことは以前から知っていたが、その井戸が今でも残っているのに全く気がつかなかった。小石川養生所を舞台にした山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』が、『赤ひげ』の名で映画化され(三船敏郎主演)、TVドラマ化もされた(船越英一郎主演)が、井戸の出てくる場面も数多くあったのを思い出した。

さらに、横に立つ案内板によると、この井戸は大正12年の関東大震災の時には多くの被災者の飲料水(水質が良く量も豊富)として役立ったという。貧民救済を目的に、一町医者小川笙船による目安箱への投書が将軍徳川吉宗により取り上げられ設立された(Wikipedia)小石川養生所が、明治維新で廃止された後も、井戸を通して人々を救済した史実には何か運命的なものを感じた。

また、目安箱の投書からわずか1年で、今の病院に近い無料の医療施設(当初40人、後に100人超収容)が開設されたのはまさに驚きである。1年以上たっても新型コロナに対する医療体制の充実・強化が進まない現在の状況と比較するとなおさらである。そう考えているうちに、町医者が活躍する『赤ひげ』をもう一度見たいとの衝動が湧いてきた。コロナ禍で奮闘する現代の医療従事者の姿と、小石川養生所で献身的に働いた江戸時代の町医者の姿をどこか重ね合わせているのかもしれない。
(7期生 北原)

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