夏が好きだ。
学校が休みになるのが嬉しかった子どもの頃の思いが、未だに抜けきらないのかもしれない。いや、むしろひと夏が過ぎた後、背が2センチ伸びていたり、水に顔をつけてバタ足ができるようになったり、掛け算の九九を全部、空で言えるようになったり。夏は私に何かをもたらしてくれたから好きなのかもしれない。
1969年夏、私は高校生だった。それも暗い高校生だった。授業を受けるよりも、しなければいけないことがあるのではないかと疑問を抱え、しかし、何をしたら良いのか分からず、モヤモヤした気分でいた。
閉塞的な高校や無理解な教師や親たちから逃れたかった私は、友人のKを誘い、代々木にある予備校の夏期講習に参加した。勉強熱心に見せかけて、実は新宿に行くのが目的だった。六本木でも渋谷でも池袋でもなく、新宿だった。予備校の授業が終了すると毎日のように好奇心に任せて二人して新宿を歩いた。
新宿駅の「西口広場」は6月に「西口通路」に変えられたばかりだった。フォークゲリラのいなくなった広場には、ヘルメットをかぶった学生が通りすがりの人々を呼び止めて署名と闘争資金のカンパを集めていた。呼び止められた人々は彼らを無視するどころか、その言葉に耳を貸し、エスカレートし、議論白熱の状況だった。Kと私を呼び止めたのは、私たちと大して齢が変わらない女の子だった。
三越裏の喫茶店「凬月堂」は、テーブルに盗聴器が仕掛けられていて会話を警察に盗み聞きされると言われていた。著名人が大勢来ているとも聞いていた。「凬月堂」の店構えは落ち着いており、噂に聞く物騒な店には思えなかった。ドアを思い切って開けたその先、煙で霞んだ店内の客はみな有名人だった。雰囲気に呑まれたものの、落ち着きを取り戻してみれば、有名人は一人もいなかった。意気込んで乗り込んだ私の思い込みだった。
西口会館地下にレストランを見つけた。ガラスのショーケースには料理見本と料金が並べられ、和洋中のメニューは充実していた。平たく言えば「大衆食堂」だった。狭く、いささか暗い入り口には先客がいて、何を食べようか迷っている様子だった。大きな体をかがめて、ショーケースのとんかつとエビフライを見つめていた。先客の大きな体が行く手を遮り、私たちは彼を追い越して食券を買うことができなかった。先客の顔を改めて見た。寺山修司だった。
突然、前を歩く若い男が立ち止まるとパントマイムとも踊りともつかない仕草をした。場所は花園神社の近くの路地。私たちは声を上げることも逃げることもしないで、立ちすくんでいた。数秒後、若い男は何事もなかったかのように去っていった。私たちは「どうしちゃったの?あのお兄さん」と話していると、「この町もあなたたちが驚いているのも含めて彼の作品なのよ」と女の人が教えてくれた。
69年のひと夏が過ぎても、相変わらず私は自分が何者なのか、何をするのが良いのか分からないままだった。しかし、新宿を歩き回り、これまでの私の生活圏などささやかで、世界は広く、いろいろな人がいるし、知らないことが山ほどあるのを知った。これが69年の夏、私にもたらされたことだった。
今年も8月を迎えた。8月を境に夏は駆け足で去って行こうとする。
夏が好きなわけがもう一つある。激しく猛々しい夏が逝ってしまうと、季節は過ぎてゆくもの、留めようとしてもとどめることはできないものと痛感させられる。そして、諦めの悪い私に夏は、常なるものはないと改めて教えてくれるからだ。(7期生 酒井)
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