その人は会うたびに小さくなっていく。
風船がしぼんでいく、そんな感じだ。

電車を乗り継いで1時間半のところに住む母を訪れるのは月に1回。退職して時間ができたらもっと足繁く通おうと決めていたのだが未だに実現していない。姉家族が同じ建物に住んでいるという安心感が、私の心のどこかにある。だから、母のもとを訪れるたびに、その変化にどぎまぎしてしまうのだ。今年87歳になった母は、肉がそぎ落ち、背も丸くなった。150㎝あった身長も今では私の胸元までしか届かない。足もOの字に湾曲し、歩くことにも難儀している。

一昨年の夏。「仙台に連れて行ってくれない?」それは母が私にする初めての頼みごとであった。足の悪い母は電車で故郷を訪れる最後のチャンスと考えたのだろう。私は早速切符の手配をした。大宮から新幹線でわずか2時間のところに母の故郷はあった。宮城県栗原市古川。母方の祖父母も伯父も早くに亡くなり、後を継いだ甥が米を作っている。訪れたときは青い稲穂が風に揺れていた。宮城の記憶はほとんどないが、祖母が亡くなった時、母が台所で泣いていたことを中学生だった私は覚えている。宮城はうんと遠かったのだ。

母の旅の目的は墓参りだった。墓は寺ではなく、こんもり木が茂る田んぼの隅にあった。東日本大震災の時に傾いてしまった墓石が微妙な傾き加減で建っている。花と線香をあげ、母は長い時間手を合わせていた。母にとっては何十年ぶりかの墓参り、そして、おそらく最後の墓参り。

翌日、かつて母が父と訪れたという鳴子温泉で、湯につかった。滑って転ばないようにしっかり母の手を握って湯船に入った。湯気でかすんだ洗い場で丸くなった母の背中を流す。年老いた母を感じながら、「気持ちいい?」などとどうでもいいことを言ってしまう。子供のように頷いて背中を預ける母。時の流れは何と優しくそして容赦がないのだろう。母には2人の兄と3人の姉がいた。今春、4つ違いの姉が帰らぬ人となり、親兄姉すべてと夫を見送ったことになる。大切な人たちがいなくなっていく寂しさと頼りなさを思うと切ない。

今年もお盆に母を訪ねた。仏壇には父と祖父母の写真が飾ってある。3人とも母よりも若々しい顔で微笑んでいる。江戸褄を着た小菊(祖母)さんはなかなかの美人だったね。ネクタイ姿の巳吉(祖父)さんはいつ見てもダンディだね。髪をオールバックにした父さんは若い頃エノケンにスカウトされたんだって。もし芸能人になっていたら?えー、そんなことになっていたら、私たちはいなかったでしょ。写真を見ながらお盆で集まった者たちの話が弾む。勿論お盆で帰ってきている父や祖父母たちも聞いているに違いない。

「天下取りの手相だって言われたことがある。」母が自分の右手を差し出す。確かに中指の付け根から手首に向かって一本の太い線がくっきり見える。天下取りねえ・・・。母は4つ違いの姉が結婚するはずだった父と18歳で結婚し、私たち4人姉妹を生んだ。まさかそれが母の天下取りってわけじゃないと思うけど。父と出会ってからの60数年のことをどう考えているのだろうか?そんなことを考えながら母の手をマッサージする。赤んぼの私を優しく抱いた手。動いたら髪の毛じゃなくて耳切っちゃうよ、と言いながら忙しく鋏を動かしていた手。終業式に来ていくお揃いのワンピースを縫ってくれた手。体のわりに大きくて働き者の手は、頑丈な骨のみが感じられた。勝手に父の手に似ていると思い込んでいた私の手とそっくりだった。
(7期生:齊藤)

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