前日の雪が遠のき、よく晴れた朝の京都は普段の喧騒もなく、静かさを取り戻したような気配に包まれていました。松の内が明けるのは関西では15日。神の依代といわれる松飾りが新年の佇まいに華やかさを添えています。姉弟三人の長女である自分と末っ子の弟は昔から仲良しでここのところは弟夫妻と大人旅などしています。

京の蒸し寿司で日本酒を愉しみながらの昼下がり、祇園甲部歌舞練場(下写真)を訪れてみました。この旅行の数日後に京舞井上流五世家元、人間国宝、井上八千代さんの講演を聞く予習を兼ねて、という理由もありました。

祇園甲部歌舞練場は、舞妓さん芸妓さんのお稽古の場と「都をどり」「温習会」でお披露目をする会場として、つとに知られています。最近では、隣接した土地に2026年春、帝国ホテルが開業するというニュースで注目されました。資料館の小さな空間で芸妓さん二人の舞を見て、歌舞練場では実際の花道に上り花道から客席を見る、というはじめての体験もしました。

江戸末期より200年以上継承されてきた井上流は、三世が「都をどり」を創始し座敷舞であった京舞を舞台鑑賞の芸能に引き上げた功績から花街祇園と密接に結びつき発展したと言われています。井上流は「おいどをおろす」のが特徴で腰を落としたまま、上半身を大きく使う「型」を基本としています。表情ではなく身体によって舞の世界を表現するため、笑顔は戒められ手に持つ扇子に感情を映すのが流儀ということです。

さて、東京に戻っての講演会に、その人は軽やかに現れました。にこやかに微笑み、テレビでみる厳しい稽古の印象とは違い、その場の空気をいっぺんに華やかに変えるほどの存在感です。
「井上流は初代サトが馬琴さんの頃、近衛家より宿下がりをした際に『玉椿に八千代までそなたの事は忘れない』と言われ「八千代」と名乗るようになりました。名取の扇には椿が描かれています。」
と扇を披露します。2歳半より稽古を始め、涙を見せると、京都弁で「きずい」と言われ、涙は自分本位で流すもの、と叱られた、それでも舞を踊りたいという気持ちが強かったと晴れやかに語りました。そして2つの舞を自ら舞ってくれました。
※事務局記:Youtubeをご覧下さい(字幕有り)⇒【 京舞 井上流 家元 五世 井上八千代 】

最初の舞は「倭文」(やまとぶみ)、新年恒例の始業式で家元が舞う伝統の舞ということです。能「翁」三番叟の鈴の段から取り入れた舞は大地を踏み鳴らし、舞いながら鈴をならし神に捧げる躍動感溢れた動きで新年を寿ぎました。続いて、地唄「黒髪」は雪の降る夜に去っていった恋人を思う舞でした。

間近で見る人間国宝の動きに言葉など何もいらないほどの感動を覚えました。「知識よりも内なる想像力で感じてほしい」という姿は、伝統を継承する魂に充ちていました。
「京都の空気を身の内に取り込んで自分の足で歩くのが大事なことやと思います。」
井上八千代さんの結びのメッセージに、京都との縁を願います。次の予定をあれこれ考える弟の声が弾んでいました。(7期生 吉岡)

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