定年退職後、2009年の2月から3月にかけて約1カ月間、ドイツのライプツィヒにおけるドイツ語の短期留学コースに参加した。正式名称は「ライプツイヒ大学ドイツ語会話&ドイツ文化プログラム」と言い、大学の講堂で入校式が行われた後、簡単な筆記試験を経て3つのクラスに編成された。その後、1525年創業というゲーテの「ファウスト」にも登場する歴史的なワイン酒場「アウアーバッハス・ケラー」(下左写真)で歓迎昼食会が催され、1人1人自己紹介をした。

翌日からの授業は土・日を除き9時~10時30分、11時~12時半の2コマで、午後も随時行われる。担任の先生はNさんという女性で、頻繫にA4のプリントが渡される。辞書は使わずに、わからない単語があれば先生に聞くのが基本で、質問にはできるだけスピーディーに答え、文法的に間違った表現はその場で修正される。毎日宿題が出て、夕食後はその対応に追われたと記憶している。先生は間違えるのは恥ずかしいことではなく、何も発言しない方が問題だと言う。

週末は先生方が企画し、大型バスを貸し切ってベルリン、ドレスデンを観光した。ベルリンでは国会議事堂や博物館の島、ドレスデンはフェルメールやラファエロの絵画で有名なアルテ・マイスター絵画館、フラウエン教会等の名所を訪れた。ドレスデンは第二次世界大戦中、連合国の空襲によって一夜にして廃墟と化したがほぼ原状復元し、改めてドイツの底力を感じた。

この時期大学は冬休みなので寮を使える。寮の部屋は個室だが、キッチンとシャワー・洗面は2人で共有する。私は4,5歳ほど年長の男性Tさんとペアを組み、週末は2回日帰り旅行を経験した。最初は列車で4時間ほどかかるチェコの首都プラハで、早朝ライプツイヒ駅を出発し、カレル橋(左写真)・プラハ城の観光名所を巡った。プラハ城からの眺めは素晴らしかったがカレル橋には物乞いの姿が目立ち、この国が長い間旧ソ連の支配下にあったことを痛感した。

帰路に就きプラハ駅の掲示板を見ると、行き先がライプツイヒ駅で見たエアフルト(ドイツ中部の都市)ではなく、アムステルダムになっているではないか。Tさんといっしょに、車掌に聞くと、「私はこの列車のどの車両がどこに行くかわかりません」と言う。車掌が自分の乗務する列車の行き先を知らない?ここからTさんのシャーロックホームズ顔負けの推理が冴える。曰く「この車掌と押し問答しても時間の無駄。自分たちで考えるしかない。可能性が高いのはデッキに何らかのヒントがあるのではないか」早速デッキに行くと、エアフルトと書いてある紙が貼ってある。ホッとするとTさん「ドイツ領に入るとドイツ人の車掌に代わるはず。そこで再度確認すればよい」言ったとおり、ドイツ領に入ってまもなくドイツ人の車掌が検札に来たので一件落着。Tさんの冷静沈着な対応に感謝するしかない。

最終日にはクラス単位でプレゼンテーションすることになったが、アイディアが思いつかない、N先生が「ライプツィヒは著名な音楽家の街なのでそれを題材にしたら」と助け船を出してくれた。クラスは7名なので、ナレーターの進行によりバッハ(右写真)・ベートーヴェン・メンデルスゾーン・シューマン夫妻・インタビュアーが天国で一堂に会し、近況を語り合うという私の提案が了承された。N先生が役を割り当て、私はバッハに扮した。どこからかわからないが、先生が全員のそれらしいカツラを借りてきたので観客席は爆笑の渦。おかげで皆リラックスして演じていた。全日程を通じてプログラムの緻密な構成と同時にドイツ人のオンオフの切り替えは見事で、ドイツ人に限らずステレオタイプの決めつけを排し、現地に行って自分の目で確かめることがいかに大切であるかを実感した1カ月であった。(7期生 福島正純)

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