「日本の祭り」が、今年も全国各地で開催されている。
江戸三大祭りの一つに数えられる日枝神社(千代田区)で開催される山王祭、最大の盛儀といわれる「神幸祭」が、2200日振りに6月7日(金)に齋行された。丸一日をかけて国会議事堂や東京駅など都心を王朝装束に身を包み巡行するその様子は2年に一度しか見る事が出来ないが、この山王祭で長年使われてきた掛け軸(右写真)が、書家で知られる「山岡鉄舟の直筆」と判明されたのだ。

掛け軸は、隔年で設置される御神酒所に飾っており、祭りの当日は(6/7)、山王坂に設置していた御神酒所に「日枝神社」と書かれた掛け軸が掛かっていた。千代田区では令和6年4月1日に有形文化財に指定されていたので、見かけた掛け軸はレプリカだったのかもしれない。

7月18日~8月18日まで掛け軸は、区立日比谷図書文化館で公開していた。町会と鉄舟の関係を示す史料は確認されていないようだが、鉄舟の実筆と判明される前までは、祭礼の御神酒所に掛けられ祭りを見守っていた掛け軸だけに、それがレプリカとなるのはガラス張りに飾られていた鉄舟直筆「日枝神社」が、何とも虚しく祭りの期間中は、せめて日枝神社内に設置して頂きたいと思った。

今年の夏は昨年と同様に暑いが、やっぱり京都の祇園祭は外せない。日帰りで昨年は、早い時間帯から長刀鉾(下左写真)の粽(ちまき)を買い求めるために長蛇の列に並び1年間玄関に飾った御利益か、一緒に行った姉共々恩恵を過分に受けたので、八坂神社へお礼のお参りと祇園祭「函谷鉾(かんこぼこ)保存会」講師による講座を聞くツアー(7/15~17)前祭があったので参加した。

保存会の方が祇園祭について貞観11年/869年、京都に疫病か流行し、その退散を祈願して66本の矛をたてて神事を行った祇園御霊会即ち祇園祭の始まりと言われていることや、函谷鉾町の起源応仁の乱(1467~1477)、戦乱続きの痛手から立ち上がった町衆達により、個々の町の組織化を進め、その中心となる山鉾町は町ごとに毎年知恵を絞って、祇園祭りを賑やかに巨大な鉾には珍しい豪華な織物で飾り立てた(参照・函谷鉾保存会資料)ーなどを伺い、巨大な鉾を組み立てるには、3日間で880人が関わり、釘を使わずに5,000~6,000mの縄だけで鉾頭まで24m総重量12tを支える技術にビックリした。

説明を聞いた「函谷鉾」が位置する所の近く(室町通)の「白楽天山(はくらくてんやま)」は、鉾と大きさは大分違うが車輪と本体を支える縄目が見えた。縄の締め方(上右写真)が実に美しく丁寧に扱っている様子が見て取れ、鉾を組み立てる過程からじっくり見てみたいとも思った。

祭りは、とかく華やかな部分だけ見がちだが祭りを催すための尽力は、祭りが始まった時代とは今や大きく変化し回りの環境によって住んでいる人々が不在になり、祭りを多くの企業や学生が手伝っていた。所によっては、長年続いていた祭りの継続が不能となり廃止になった例も多くあるが、出来るだけ「日本の祭り」に足を運び、祭りを知って歴史を知る楽しみを堪能したい。(7期生 梅本)

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