「東北の日本海側を走ってみたい!」
旅のきっかけはコロナ第6波が落ち着きを見せた頃、鉄人ドライバーとして名高い同級生の一言だった。梅雨明け直後を狙えば天候も安定、4回目のワクチンも接種済みとなる。他のメンバーも久しぶりのお出かけに前のめりだ。私は勤務地が6年間仙台だったため、東北は一通り網羅しているのだが、なんといっても1980年代のこと。妙に懐かしさがこみ上げてきた。

東北北部の梅雨明けが発表された7月末、天は我らに味方してこの上ないドライブ日和を用意してくれた。行先は秋田、山形。栃木:小山を出発して2泊3日、往復約1,300kmの“みちのくの旅”である。
初日の宿泊地は竿燈まつりの準備が始まった秋田市内。日本海に沈む夕日を眺めるには、到着時刻が少々早すぎたのだが、まずは秋田港にあるポートタワーの展望台に昇ってみた。「オオーッ!」と思わず声が出た。

それは無料展望台(地上100m)の期待値を大きく上回るものだった。西に傾きかけた日差しは水平線を浮き立たせ、男鹿半島の先端を金色に輝かせていた。また、半島に向かってのびる海岸線には、真っ白な風車が立ち並んでいた。かつて私が見た秋田の風景には存在しない造形美だ。

2日目は男鹿半島を時計回りに一周した。南西端のゴジラ岩から北西端の入道崎、そして半島中央部の寒風山へ。助手席の私は左手に広がる穏やかな日本海の眺望を満喫していたが、鉄人はアップダウンとカーブが続く一般道で、自慢のハンドルさばきを披露。愛車のプリウスPHV(プラグインハイブリッド)は下り坂で献身的に充電を繰り返し、驚異的な低燃費走行を実現していた。この車はいざという時に非常用電源として機能する優れモノなのだ。

この日は海風も爽やかで、午後になっても気温は31℃。日本海東北道を南下し、鳥海山5合目の鉾立展望台を経由して酒田、鶴岡へ向かうことにした。標高1100mの展望台からは、『おくのほそ道』最北の地である象潟あたりを見下ろすことになる。

芭蕉は象潟に舟を浮かべ、鳥海山を仰ぎながら「松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし」と書き残した。当時の象潟は外海と隔てられた潟湖に多くの小島が浮かび、松島と並ぶ景勝地だった。しかし、その後の大地震で海底が2m以上隆起して陸地となり、西行や芭蕉の見た象潟の姿を我々は見ることができない。芭蕉はそんな象潟の憂いを感じ取っていたのだろうか。

暑き日を海に入れたり最上川

芭蕉がこの句を詠んだのはちょうど今頃。北前船の寄港地として栄えた酒田を流れる最上川は堂々たる大河だった。「俳句はアニミズムである」と中沢新一はいう。「この世界の中心は人間ではない。人間などは非人間の巨大な世界に包含されてあるちっぽけな存在なのだという世界観」(『俳句の海に潜る』中沢新一、小澤實/KADOKAWA)なのだそうだ。私の中にもそのような精神性が少しばかり受け継がれているように思えたのである。

最終日は出羽三山に詣でることもなく、まだ山頂に雪を残す月山を横目で見ながら、山形道を走り抜けて蔵王の御釜<右写真>に立ち寄った。この日も風は弱く日差しが十分にあり、赤茶けた蔵王の山々とエメラルドグリーンの火口湖の美しさが際立っていた。ここで一句!と思ってみたものの手も足も出ず、私には俳句はもちろん詩歌の素養がないことに気づかされたが、負け惜しみを言えば、その存在感に圧倒され、とても十七文字で切り取れる景色ではなかったのだ。

旅から戻ると首都圏では危険な暑さが続き東北北部は記録的な大雨。コロナ第7波も衰えをみせていないが、その一方でリアルな旅の魅力は捨てがたいことを再確認できた。次は列車の一人旅など企ててみたいものである。
(7期 石巻)

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