空気がさらりと澄んで、月のとりわけ美しい秋がやってきた。
関西には修学旅行以外にあまり行ったことがなかったが、昨年長男が奈良に転勤になったことで何度か足を運ぶようになった。そして、あの月を見た。夜にそこを歩いていたのだから、11月の正倉院展と3月のお水取りの時だった。奈良公園の松、興福寺の五重塔、東大寺の南大門、こんなに月が似合う景色は見たことがないと思った。以来、きれいな月を見るたびに、向こうに古い都のくろぐろとした幻を見るようになった。

天の原 ふりさけ見れば 春日なる三笠の山に いでし月かも
奈良にまつわる月といえば、遣唐使阿倍仲麻呂のこの歌が有名だが、かの人が焦がれた土地はここではない。平安京ができる前、都はようやく造られてもすぐに移された。大事な建物は飛鳥から移築され、春日大社が見守る下にすっぽりと置かれたのだったが、せっかく造った平城京もまた、置き去りにされてしまった。だから、闇の底には絶たれた野望のうずみ火が蠢き、もっと下には浄らかな大志が眠っている。

日本史は詳しくない。私のこの地へのイメージは主に、初めて読んだ里中満智子の『天上の虹』全巻と再読した梅原猛の『隠された十字架 法隆寺論』に因るが、本当のところはよくわからない。ただ、確かに残っているものから立ち上る人物の気概には心を打たれる。たとえば、熟田津で額田王が詠んだ歌、称徳天皇が書いたという「唐招提寺」という文字。

逆に、救世観音を横から見た写真(梅原p521)には憤りを感じる。光背が直接後頭部に打ちこまれている。昨秋夢殿の奥にこの像をぼんやりと見たが、決して見えない背面に本当にそんな暴挙がなされているのだろうか? それが本当なら、早く釘を抜いてあげたい。どんな言い訳も無用、どんなに詫びても許されない無礼の極みだと思う。

「Kissの会」のエッセーには写真をつけるという決まりがある。夜の写真をうまく撮るのは難しいよね、自分がいいと思う奈良の写真を適当に送ってくれる?と息子に頼んだら、勤務している国立博物館と、奈良公園の鹿と、民家の後ろに見える興福寺の五重塔の写真を送信してくれた。昼間はこんなにのどかで明るい場所に、夜には魔法が降りてくる。「きれいな月」はきっと誰もが持っている。どうぞ一番好きな姿を思い浮かべてくださいませ。

「王朝ロマンにあこがれている方がよくいらっしゃいますが、皆さんのほうがずっといい暮らしをしているんですよ」と、以前里中満智子さんが講演会で言っていらした。まったく私たちは王のような暮らしをして、王のような目で歴史を見ている、王ではない庶民なのだ。飢えて逃げ惑う民百姓の方がほんとは自分に近いのに、本を読んでいるとつい勘違いしてしまう。ちっぽけさを自覚し、でも今生きているというすごいチャンスに気づいて、自分の価値がまた反転する。そして、ただ生きるのではなく、よく生きなければ命がもったいないと思う。かといって、目の前のささやかなことをきちんとやり続けるしかないのだけれど。この文章を綴っていて、「凍れる音楽」と評される薬師寺の東塔をまだ見ていないことを思い出した。楽しいことはたくさん見つけられる。修理が終わるのは平成32年、あ、平成は30年までか、それも含めて未来が待ち遠しい。シルクロードを歩いた旅人のように、ゆっくり急いで歩いて行きたい。(7期生:安孫子)

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