ここ2ヵ月ほどデジカメをポケットに入れて、私が住んでいるひばりヶ丘駅周辺を散歩している。ここは西東京市の北西部、池袋から西武池袋線急行で2駅目(17分)のところに位置する。といっても西東京市がどのあたりかご存知ない方が多いかもしれない。2000年に旧保谷市と田無市が合併して西東京市が誕生した。練馬区、東久留米市、小金井市、埼玉県新座市に隣接している。東京都の西に位置しているわけでもないのに、西東京市か…と市の名前がしっくりこないと感じている市民は私だけだろうか。確かに都心から見れば西の方角ではあるが、どちらかというと東京都のへそあたりに位置している。住所を書く際に「東京都西東京市・・・」と書くことに違和感を持ちながらも、16年もたってしまうとちょっと諦めの境地。西東京市は人口約20万のベッドタウン。畑がところどころ点在すると同時に、ここ数年は高層マンションの建築が進んでいる。
市の名前を決める際にひばりヶ丘市というのも候補のひとつだった。まあそんなひばりヶ丘駅から7分ほどのところに羽仁元子・吉一夫妻により創設された自由学園(1934年に豊島区より東久留米市に移転)があるといえば、東京のどの辺りか検討のつく方もいらっしゃるかもしれない。自由学園の周りは、広い庭を持つ別荘風の家が立ち並んでおり、住宅地と畑が混然とした西東京市の風景と趣が異なる。武蔵野の雑木林を生かした広い庭には様々な樹木が茂っており、春はサクラ、秋はイチョウやカエデが季節の移り変わりを教えてくれる。
あちこち歩いていると思わぬ発見があったりする。自由学園近くに、どこまでも送電線が続く一本の遊歩道がある。「たての緑地」と名付けられたこの遊歩道は、東久留米市の管轄であるらしいが、ほとんど手が加えられておらず、かろうじて設置された車止めが遊歩道であることを物語っている。ホトトギスやムラサキシキブなど自然そのままの草木や樹木が茂っているが、アジサイやスイセンなど隣接する民家が手入れをしている植物も多い。
「たての緑地」の終点となっている、ひばりヶ丘団地から住友重機械工業田無技術研究所に渡る敷地には、戦時中まで中島飛行機の関連会社として軍用機のエンジン部門を製造する中島航空金属株式会社田無製作所があった。そこへ向かって、武蔵野鉄道(現西武線)東久留米駅から鋳造用の砂や燃料を運搬する2.84㎞の専用引き込み線が敷設されたのである。さらに、ここから中島飛行機武蔵野工場まで専用線がのび小型蒸気機関車が走っていた。この引き込み線は昭和15年に完成し、終戦と同時に中島飛行機関連会社専用線としての役割は終えた。しかし、中島航空金属田無製作所の跡地に日本初の集合文化住宅としてひばりヶ丘団地が建設される際には、建築資材を運んでいた。ちなみにひばりヶ丘駅は、ひばりヶ丘団地造成に併せ1954年に田無町駅から改称し、こんにちに至っている。1960年に撤去されるまで、この引き込み線跡は子どもたちの遊び場だった。今はその記憶を知る人も少なくなってきたが、地元の人たちの散歩コースとして、あるいは廃線跡マニアの訪れる「たての緑地」となってひっそりと時を刻んでいる。
そんな道を歩きながら考える。私は20年近くこの町に住んでいるのだが、家と職場の往復をしていただけで、地元のことをほとんど知らずに来てしまった。別な言い方をすれば、マンション族として地域との関わりを深く持たない根無し草として暮らしてきたのである。介護における地域包括システムについてのレポートを書く必要に迫られたとき、遅ればせながら地域の中で暮らす自分を意識した。そして、リハビリがてらの散歩を通して地域の自然や歴史を知ることが、改めて自分が住む地域との関わり方を考えるきっかけとなった。目下、根無し草としての関わり方を思考中である。(7期:齋藤)
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