「主の栄光に照らされる」

飼い葉桶の中に
「あなたがたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
(ルカによる福音書 2章10~11節)

存在を否定された人々への告知

キリスト(救い主)は無力な赤子として生まれたと聖書(ルカ福音書)は語ります。その誕生は、旅人として、しかも人の数にいれてもらえない扱いを受けての飼い葉桶の中です。最初にこの知らせを告げられたのは、夜働く羊飼いでした。彼らは、人口調査の対象にすらならない人たちです。だからこそ神は彼らに目を留めるのです。人間として生活しているのに、世間から人間としての存在を否定された彼らを神の栄光は照らします。神の栄光とは、存在する全てのものを愛して止まない神の愛と言い換えられるでしょう。神の愛は光となって夜の闇を彷徨う彼らを包み込んだのです。

無力と貧しさとしての飼い葉桶

天使たちはキリストの誕生の徴(しるし)は飼い葉桶だと知らせます。飼い葉桶は無力と貧しさの象徴(しるし)です。羊飼いたちにとって、この飼い葉桶は、神が自分たちを見捨てず大切に思ってくださっているという約束の徴(しるし)です。彼らはこの飼い葉桶を必死に探し当て、心から喜び、再びいつもの生活に戻りました。キリストを見つけても辛く厳しい生活は今までと何も変わりません。でも今までと違うのは、辛く厳しい生活に喜びと意味を見出したということです。自分たちを見守ってくださる神がいつもどんな時にも共にいてくださるという確信です。これが最初のクリスマスを祝った人々の喜びでした。

クリスマスの意味

クリスマスは、神が、ご自分の全知全能も権威も力も捨てて、私たち人間を罪の捕われから解放する為に、人間と同じ無力そのもの、数に入らない人間になられたという出来事です。それは、私たちの不安や恐れ、悲惨、絶望、孤独などあらゆる苦悩を体験した方が一緒にいてくださるから、恐れることは何一つないという宣言であり、約束です。何も持たずに誕生し、十字架の死を受け入れた救い主の生涯は、私たちの幸福は、目に見える物ではなく、愛と赦しにある事を伝えています。

不安と恐れを祈りに変えて

世界が不正義と憎悪と無関心で覆われ、闇の深まる今の時代、私たちの心は不安と恐れをかき立てられます。それ故にこそ、今年もクリスマスは来るのです、平和と愛を待ち望む全ての命の内に。今年のクリスマス、世界と自分の心を覆う闇を見つめ、不安と恐れを祈りに変え、今日(こんにち)の飼い葉桶の周りに集う人々と命を思い、平和と愛を心の底から求める時としたいと思います。

立教セカンドステージ大学 講師
新井美穂