ライフスタイルが変化すると、思いがけず自分を取り囲む人との関係にも変化が生じる事があるようです。中、高時代を一緒に過ごした友とは、「学校までの距離が遠い」というシンパシーを共有できる、心の距離が近い関係でした。いつも一緒にいるグループが違ったことから二人で何処かに行く、という事もなく過ぎた学生時代。時を経て、再会し、自由になった交友関係の中で「旅行しようね」と選んだ先は、お互いに行ってみたかった瀬戸内海の小島「直島」です。
早朝の新幹線に乗り込み、先ずは岡山まで。岡山から特急電車を乗り継ぎ、香川県宇野港からフェリーで直島へ。ベネッセホールディングスが開発した島は、フェリーで港に着くとバスが迎えにきており、島内に点在するアートを巡る周遊バスとしても整備されていました。
建築家安藤忠雄氏が設計したホテルやミュージアム。モネ3作品を収めた地中美術館、築100年の木造民家の中に「入れ子」状にコンクリートボックスが組み込まれたANDO MUSEUM(左写真)など、一つ一つが精密にデザインされている多くの建築物が島に点在しています。コンクリートの曲線で連なる壁、見上げれば太い木材で組まれた吹き抜けの天井、建築物の中に自分自身も飲み込まれていくような感覚を覚えました。
もう一つの直島のシンボルである草間彌生氏の《南瓜》(上写真)は、古い桟橋に設置されています。一度台風で流されてしまった《南瓜》は2022年復元され、唯一無二の「直島」としての景色を再び浮かび上がらせていました。「アートとは永遠の戦いであり、愛であり、生きることである」という作家自身の象徴であるかのように黄色の水玉模様が海に際立っていました。
今でこそ「アートの島」として名の通る直島ですが、かつて1920年頃の直島は農漁業の不振で財政難に陥り、銅製錬所の誘致を受け入れた歴史があります。豊かな税収は確保されたものの、亜硫酸ガスの煙害で、島の木々は枯れ果て、自然は荒廃し過疎の村となっていったということです。
安藤忠雄氏は「TADAO ANDO/NAOSHIMA]の著書(右写真/サイン本)の中で「終わらない建築」として、次のように述べています。
「直島との関わりは、1987年福武總一郎氏が、瀬戸内海の直島を、世界に誇れる自然と文化の島にしたい。と訪ねて来られたときから始まった。現地を訪れたときは、離島というアクセスの悪さと何より島を支えた金属精錬産業の影響で荒廃した自然に現実の厳しさを思った。・・・予定調和的方法をとらない設計の中で、周辺の自然環境も回復していった。再生した緑の中に建築は徐々に溶け込み、埋没して、建築と自然が一体化してある直島固有の風景が形づくられていった。人の思いは、時に岩を穿ち、山をも動かす。・・・プロジェクトはいまだ終わっていない。」と。
(参照:上写真/地中美術館)
直島の辿ってきた歴史を思う時、関わってきた人々の熱情の断片に少しだけ触れることができたように思います。そしてここに在るアートと文化を楽しみたいと願う気持ちが芽生えました。 現在、人口約3,000人の小さな島は世界に有数のアートの聖地として再生され、3年毎に開催される瀬戸内国際芸術祭には、70万人が島を訪れるということです。
ホテルの遊歩道から眼の前に広がる瀬戸内海は穏やかで、朝霧の中に静かに見える島々が蜃気楼のようでした。やがて日が射し、瀬戸大橋まで立ち現れる景色は日常から非日常へといざなう時空。豊かな波のきらめきに友と二人、光に充ちた時を過ごしました。
(7期生 吉岡)
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