ある日の午後、書棚の片隅にある白いホルダーが目に留まった。開いてみると「RSSC:自分史講座(2014年)」の資料一式。担当講師は内海靖彦先生。7月の最終原稿提出後にはA4一枚分の丁寧な講評をいただき、最後の文章にはこう書かれていた。
「のんきな隠居のような言葉で締めくくっていますが、まだまだですよ。(中略)毎日文章を書き続けて、文章力をさらに磨いていってください」
「文章読本」の元祖・谷崎潤一郎は文章の上達法の一つとして、「感覚を研くこと」をあげて「できるだけ多くのものを、繰り返し読むこと」が第一、次に「実際に自分で作ってみること」が第二であるとし、「古来の名文といわれるものを、出来るだけ多く、繰り返し読むこと」を勧めている。しかしながら、私は良好な読書習慣が身につかず、「古来の名文」の蓄積が甚だ不十分。文章を書き続けるなど、とんでもないことと感じていたが、思わぬところからお誘いがかかったのである。
2016年の春に専攻科を修了した仲間から、RSSC同窓会ホームページへの投稿サークル(Kissの会)立ち上げの提案があり、私は二つ返事で参加を決めた。内海先生の言葉がどこかに刷り込まれていたのだろう。その後、Kissの会は多くの7期生を巻き込みながら、活動を続けてまもなく8年。通算投稿回数は300回に近づいてきた。この間、私自身が年2回投稿するだけでなく、RSSCで同じ釜の飯を食った仲間の書き上げた文章を「読むこと」ができた。これは「古来の名文」とは異なる、同じ時代を生きる仲間のコトバとして心に響き、私の内なる図書館にインプットされていったのである。
また、年2回程度とはいえ「書くこと」に向き合うことは、少なからず私に変化をもたらした。その一つは読書スタイルが改善したことだ。以前は読みっぱなしがほとんどだったが、「書くこと」を意識することで、読後にメモを取ったり、読み返したり。そして手に取る本のジャンルが広がり、遅まきながらあるべき姿に近づいてきたようだ。昨年観たイタリア映画「丘の上の本屋さん」(左写真)では、小さな古書店の店主が移民の少年に静かに語っていた。「本は二度読むんだよ。一度目は理解するため、二度目は考えるため」と。
二つ目は「読むこと」が「書くこと」へつながったことだ。一年ほど前からKissの会の投稿だけでなく、気が向くと日記風エッセイをまとめるようになった。これは子や孫など限られた読者を想定しているが、とりあえずの読者は私一人。従って、あれこれ悩むこともなくサクサク書ける。そして、仕上がった時にはちょっとした達成感がついてくる。内海先生の「毎日書き続けて」というご指導には程遠いものの、とても有意義な“ひまつぶし術”を手に入れたのだ。
「感覚を研くこと」は文章上達に限ったことではなく、人生を豊かにする魔法のようなものかもしれない。谷崎も「総べて感覚と云うものは、何度も繰り返して感じるうちに鋭敏になる」とも言っている。友人から勧められた美術入門書には「言葉と感性は相性が悪いと思われがちだが、一緒に使うと感じ方も深まるし、言葉も研かれる」と記されていた。
「考えるな、感じろ」と言ったのはブルース・リーだが、あれこれ考えながら「感じること」も悪くない。「書くこと」がルーティンに加わったことで、私の感じる力も大いに刺激されているようだ。かつて、妻からアートに疎い男というレッテルを貼られたが、なにやら活路が見えてきたように思えるのである。(7期生 石巻)
<<Kissの会は、RSSC同窓会ホームページへの投稿サークルです>>
【Kissの会 連絡先】 kiss7th.rssc@gmail.com
【投稿履歴/Kissの会 webサイト】 https://kiss7th.jimdo.com
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