私は野球観戦が好きでよく球場に行く。テレビでも充分堪能できるが、やはり球場に足を運んで観戦した方が楽しい。人によってはわざわざ出かけなくてもテレビの方が見やすいし何度もリプレイしてくれるのでこちらの方が良いという人もいるし、あとでビデオを見るという人もいるだろう。でも、やはり現場の方がいいという人は多い。なぜ現場の方がいいのか。現場とテレビの違いはどこにあるのだろう。

例えばコンサート。今、音楽はCDやインターネットで聴くことが出来、雑音もなく、かえって良い環境かもしれない。でも多くの人はコンサートやライブ会場に、時間とお金と労力をかけて出かけていく。展覧会も、国内外の本物の絵画や秘仏が展示されたりすると、何時間も待って見学する人が多い。興味のない人からすると無駄なように見えるが、本物を見たい、共感したい、また感動したい、といろいろな気持ちからみなさん出かけていくのだろう。

その答えになるのか。上智大学の佐藤啓介教授が、その点について興味深い説明をしていたので、要旨を紹介したい。

それは「本物の美しさ」ということらしい。佐藤教授の説明では美術品に例を取っているので「美しさ」と言っているが、たぶんスポーツや芸能、音楽などにも共通する概念と言えると思う。20世紀前半のベンヤミンという思想家が唱えたこととして、「芸術を見ることは礼拝的価値」があるということらしい。西欧の価値観ではあるが、ルネサンス以前の芸術は人に見せるというより神に見せる、又は祈りをささげるためにあったと。芸術作品の制作は、礼拝に役立つものの制作から始まったとのこと。そしてもともと礼拝的価値だったものが今日の展示的価値に変化してきたものという。そして、この本物の美しさを体感すること、この体験はこの時空で一度きりしかない。佐藤教授はその一度きりの体感を、「一回性のオーラ」と表現している。その時間、その場所で、そこにいる人が、それを見・聴き・感じる。これが「一回性のオーラ」だと。つまり、かつては神を崇拝する行為であったが、現在は芸術作品を静かに見ることが「一回性のオーラ」の再現になるという。
(岩窟の聖母/レオナルド・ダ・ヴィンチ 出所:https://ja.wikipedia.org/wiki/)

ライブとCDの違いは、「一回性のオーラ」を体験したいという具現に他ならない。これは映画にも言える。映画は実際ではない映像であるし、繰り返し何度でも見ることが出来るが、この時間、この劇場、この空間で同じ人達と感動を共有している点で、テレビとは大きく違う。つまりこれも「一回性のオーラ」を体験していると言えるだろう。テレビやレコード、ビデオ、レプリカ、模造品、インターネットなど、複製芸術が進歩すればするほど、一回性のオーラが際立って、そこでしか味わえない体験を求めるようになる。ある意味、本物の希少価値化が進む。畢竟、「本物のありがたさ」をもとめて人は、現場にむかう。

現場に行くと、なんとなくいいなあ、感動するなあと思うのは、人間に内在している宗教的感性に繋がっているのかもしれないが、必然的な気もする。現場に足を運び本物を鑑賞したがるのは、人間の根源的な欲求によるものかもしれない。

たかが野球観戦、されど野球観戦。
(7期生 佐野英二)

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