観光客増加前の今が丁度良いタイミングと思いたち(6月4日)、急遽出かけることにしました。一昨年秋「Go Toトラベル」を利用した3泊4日京都(詩仙堂、曼殊院,円光寺等)・奈良(国博正倉院展、東大寺、法華寺、海龍王寺等)以来の京都・奈良フリ-旅行です。
6月6日(雨模様)
観光客がまばらな【建仁寺】(栄西が建立した京都最古の禅寺)訪れたあと、【清水寺】に向かいましたが、二寧坂~清水坂では修学旅行生やカップルで賑わっていました。
6月7日(薄曇り)
静寂をもとめ、奈良の「山の辺の道」をたどりました。JR桜井線柳本駅で降り、三角縁神獣鏡33面が出土した史跡【黒塚古墳】では、隣接展示館の全国有数の実物大竪穴式石室や副葬品のレプリカ等で、古墳の内部がよくわかった。次に向かった【長岳寺】は842年天皇勅願により弘法大師が大和神社の神宮寺として創建し古刹で、わが国最古の玉眼仏である阿弥陀三尊像を拝観した。右写真:わが国最古の弘法大師創建の鐘楼門(出所:天理市観光ガイド誌)
英国風レストランで昼食を摂り、向かったのが、大和朝廷創始者・第10代【崇神天皇陵】と全長400mで4世紀の古墳としては我が国随一の大きさを誇り、日本武尊の父と伝えられる第12代【景行天皇陵】でした。JR巻向駅から奈良駅に向かい、猿沢池で小休止して興福寺を訪れ京都に戻りました。
6月8日(晴れ)
京都から近鉄飛鳥駅で降り、観光客が向かう反対側を歩き訪れた【岩屋山古墳】は、古墳時代終末期の方墳で、明治時代の英国人ゴーランドが「見事な仕上げと完璧な石組みは、日本中のどれ一つとして及ばない」と絶賛しただけあって、その大きな石室の石組みに驚嘆しました。
次に目指した【牽牛子塚古墳】は、築造年代、当時の天皇陵のみに採用された八角墳墓であること、石室内に二つの墓室が設けられていることや日本書記の記述から斉明天皇(天智、天武天皇の母)と娘の間人皇女(孝徳天皇の后)が合葬された陵と考えられている。凝灰岩が復元され、築造時の形がわかりやすく、前日に観た天皇陵と異なる埋葬の形態に、古代天皇制の思想的な転換を感じました。(右上写真:明日香村観光サイト)
牽牛子塚古墳南東部直近の【越谷塚御門古墳】は斉明天皇の孫大田皇女(大津皇子の母)の可能性が高いとされ、古代のドラマを感じさせられる両墓でした。
昼食後、近鉄、ケーブルカー、バスを乗り継いで着いた【信貴山】は大阪と奈良県境にそびえて、聖徳太子命名と伝わり、飛鳥時代から人々に信仰され続けている。山腹に立つ【朝護孫子寺】は聖徳太子創建と伝わり毘沙門天王を祀っている。境内入口には大きな張り子 の寅が置かれていて、寅年の今年は国宝の信貴山縁起絵巻が順次公開されています。本堂は山の斜面を生かした舞台作りで大和盆地を見晴らすことができた。三つの子院(塔頭)と併せて、境内全体が山岳寺院としての雰囲気を醸し出し、人々の信仰を集めている。
バス、JR王寺駅から京都にもどり、伊勢丹11F「京豆冨 不二乃」での夕食膳では、京都丹後(京とうふ藤野)工場直送の「おぼろとうふ」を2杯もお替りをし、美味しさを堪能しました。
6月9日(晴れ)
【平安神宮神苑】は見事に整備された庭園で、花菖蒲の季節ということで人出が多かった。次は【哲学の道】を散策しながら久しぶりの【銀閣寺】に向かった。小グループに分かれた修学旅行生以外、観光客は少なくゆったりと過ごすことができました。
今回はホテル予約のみを担当し、その他観光はすべて妻任せでしたが、印象深い旅になりました。次の非日常体験まで、またしばらく「自粛生活」を楽しむこととします。
(7期生 関根重明)
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