子供の頃の冬の行事を想い出す。大晦日になると自家栽培した蕎麦の実を、石臼で粉にするのは子供達の仕事だった。その挽きたての粉で作った年越し蕎麦を食べ終わったら、「気をつけて行ってこい」と家族に励まされ、公民館に集る。そして一路鹿児島神宮を目指して走る。神宮があるのは国道10号線を東に向かって約10キロの隣町(現在霧島市)隼人町にあった。桜島と錦江湾を臨む家々に手作りのしめ縄が飾られている道を、励まし合いながら進む。除夜の鐘が鳴る前には神社に到着し、長い列に並び、新年を迎えると同時に参拝する。参拝が終わると、境内の焚火で身体を温めて現地解散し、家の近いもの同士でグループを作り帰宅する。寝静まった家人が目を覚まさないよう、そっと布団に潜り込むという恒例の行事があった。
この集まりは郁文館と称し、薩摩藩独自の青少年教育制度「郷中教育」だ。郷中とは今でいう町内会単位の自治会組織であるが、そのうち年少者は稚児(ちご)と言われ、先輩が後輩を集団で指導する。我々の地区は小学4年生から中学2年生の男の子25~26名で構成されていた。最上級生となった中学2年生が稚児リーダーになり、後輩の心身を鍛えるため、躾・武芸・詩吟・歴史や座禅等を教える。
鹿児島神宮初詣の他に、夏は霧島高原でのキャンプ、校庭でのサッカーや野球・肝試し等があった。西郷隆盛も稚児リーダーだったというが、この郷中教育では「負けるな」「嘘をいうな」「弱い者いじめをするな」という3つの教えを大事にしていたが、西郷さんは「弱い者いじめをするな」を特に大事にしたという。キャンプでは飯盒炊爨して自立の第一歩を学んだのもここだった。今思えば大人がいなくてよく運営されていたなと思う。先輩は何でも丁寧に教えてくれた。学校では学べない、集団生活のルールや先輩や後輩に対する礼儀を学んだ。
今年は西郷隆盛ゆかりの目黒不動尊に初詣に行った。藩主島津斉彬が病に倒れた際、境内にある独鈷の瀧で、水ごりをし回復を祈願したというお寺である。参道には焼鳥屋、おでん屋、お好み焼き屋などが立ち並び、コロナ禍を忘れる賑わいだった。射的屋では上手に商品を落とす子供たちに、大きな声援ならぬ拍手喝采だった。
鹿児島神宮には早春を告げる初午祭があり、鈴掛馬踊りがある。500年近い歴史と伝統があるお祭りで、毎年旧暦の1月18日を過ぎた最初の日曜日に境内で開催される。祭りの一番手が地域(木田地区)の馬で「御神馬(ごしんめ)」と呼ばれ奉納踊りを行う。「背中に色とりどりの飾り、首に鈴をつけた馬が、踊り連を引き連れて太鼓や三味線や鉦にあわせてマンボのように踊る様子は珍しい。県内外から多くの観客が訪れる。今年も縮小して2月20日(日)に開催されるようだ。
故郷を離れ半世紀、今年は古希を祝って高校のクラス会をやろうと盛り上がっている。会場は鹿児島神宮近くのホテルを予定しているが、コロナ禍で開催時期が難しい。クラス会には大晦日に走った幼友達や親友がいて、再会が待ち遠しい。
もうすぐ春がくる。(7期生 榎本)
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