7月の初めに夫と青森を旅行した。大人の休日俱楽部の「JR東日本4日間乗り放題」という切符で新幹線に乗って新青森へ。現地では3日間レンタカーを使って行ったことがない遠くへ。久々に絶景と人の営みに触れて目にも心にも残っている余韻をしばし語りたい。

1日目は、夫の仕事の後に出発したので移動だけの日だった。2日目は、まず尻屋崎に向かった。寒立馬というけなげな馬が放牧されているという。ナビを頼りにひたすら何もない(原発しかない!)山道を走り続けて横道に入ったら、いきなり前方に馬のお尻が! その先の水場に行くところだった。彼らの聖域におじゃまして、おいしい空気をたくさん吸いながら歩いた。海と断崖と岩場や野の花々にも心が躍った。

次は恐山に。今から千二百年ほど前に慈覚大師円仁によって開かれた霊場だそうで、硫黄の匂いが漂い白茶けた岩が転がる荒涼とした場所が目立った。けれども、峰に囲まれた湖と白浜の清涼な場所もあって、まるで大自然の力が地獄と極楽を現前させて山の上に置いたよう。あたりに人気はなく、「クマに注意」の看板を見て奥の院に行くのはやめた。エサは私しかいない?と気がついて。恐山は昔から気になっていた所で、やっと訪れることができた。ここに来る時に切羽詰まった顔をしないでいられるのは、ありがたいことだと思った。

夜は陸奥の老舗ホテルに泊まった。旅行の前に読んだ司馬遼太郎の「街道をゆく4 北のまほろば」で知ったこの地の名家という「菊池」の姓があった。追われて来た会津藩ゆかりの名前を温泉につけ、記念物やパネルの展示もしていて、心の温かさと品の良さを感じた。

3日目は、ハードスケジュールで、10:00の仏ケ浦遊覧船、15:30の陸奥湾フェリーの出発時刻を死守する日! 映画「魚影の群れ」の舞台の大間崎も捨てがたく、早起きして行ってきた。仏ケ浦は「飢餓海峡」の舞台で、この二本は旅行前にわざわざ観なおした。大間はドカンと海があるだけだったが、仏ケ浦の絶壁・奇岩はすごかった。

「フェリーを使う」という某旅行会社のツアープランを新聞で見つけた時には狂喜した。両方の半島の先まで走るのは無理だとあきらめていたから。これなら竜飛岬にも行ける! まさに渡りに船だった。フェリーに車が4台しか乗っていなかったのはお気の毒。下北の脇野沢から津軽の蟹田まで1時間乗船し、夕方には竜飛崎の温泉ホテルに着いた。

4日目は、竜飛岬。吹き飛ばされそうな風が吹いていた。北海道の山々と岩木山が見えた。石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の碑があり、ボタンを押したら歌が流れて、私も歌ってみた。

吉田松陰の碑もあった。こんな所にまで来ていたとは知らなかった。山口から歩いて?親不知みたいな道なき道を? 見つかったら殺されるのに? 国防の危機に居ても立ってもいられなくなって。そして、この旅の7年後に安政の大獄で殺されてしまった。享年29歳。小柄で清雅、はかなげな容貌だったそうだ。

思えばこの時から、心が揺れている。安易に見知って動ける時代に生まれたお前は、空いた時間で何をしているのかと問われている気がする。

太宰治の碑は海際の低い所にあり、らしいと思った。向かいの旧奥谷旅館には彼の「今夜はこの本州の北端の宿で飲み明かそうじゃないか」という言葉が残されていて、飲まない私もとろけそうになる。最後に寄った斜陽館は、哀しいほど大きかった。「金木の殿様」と呼ばれた父の建てた家を誇ることだってできたのに、彼は恥じたのだ。

家に帰って「斜陽」を読んだ。食わず嫌いで損をした。太宰は死ぬ前に本当に書きたかったものが書けたのだと思った。その至高の場面、夏の月光が洪水のように満ちあふれた蚊帳の中で眠る母子の姿に黙禱して、筆をおく。
(7期 安孫子)

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