同い年で、卒業と同時に起業して、業界最大手の上場企業に育てた知人がいます。もう10年近く前になりますが、彼がこんな話をしてくれました。
「何かをやるかやらないかと悩むやろ。これまで悩みながらやって来たんや」
彼が同じ話を、友人である著名な創業経営者某氏にすると、
「それが分からない。やりたいことは悩まずにやれば良い!」
と即答したそうです。起業家としての自負、そして自分自身へのエールを感じました。
「天才某氏は悩まずにやる。俺は悩んでからやる。これが俺と某氏の違いなんよ」
その後、知人は「Think Tankなんか沢山あるから…」と、クライアントと組んでDoをする「Do Tank」という子会社を作りました。彼は陽明学が好きで「やってみて、初めてわかるんや」とよく話していました。私の知人ですから私との違いは学力ではなく、「~する」で考える習慣と実践力の差だと思ったのをよく覚えています。尚、その前提となる人間の器量・愛嬌・熱量などに雲泥の差があるのは言うまでもありません。しかしこれは生来の所も多く、なんとも致し方ありません。
そんなことを考えていたある時、「動詞で考える」という話を聞きました。その方はバー・パブなどを事例にビジネスの成功要件を探る大学の研究者でした。
「動詞で考える」事例として、単に「カクテル」を考えるのと、「カクテルする」を考えるのでは結果が全く異なってくると言うのです。「カクテル」を考えるのはメニュー開発に留まりますが、「カクテルする」はカクテルを飲む男・女の機微や文脈を読み込んだ店づくりが求められます。更に「カクテルする」で考えればナイトライフ全体のビジネス構想が浮かんできます。知人や某氏は「動詞で考える」を実行し、その時の広がりの大きさ、決断の孤独と恐怖を痛烈に知っているのだと直感しました。
現在の私はビジネスの現場に接していません。ですが、私たちの暮らしにも「動詞で考える」は有効ではないかと思います。例えば、「池袋」を考えるより「池袋する」で考える、「◎◎サークル」を考えるより「◎◎サークルする」で考えると、これまでにない発想が生れ来るのではないでしょうか。また、自分の名前に“する”を付け、「自分する」を意識すると、やりたいことに気づき、また、思い出したりして、力が湧いて来るように思います。
ある作家が「高度成長期の日本の銀行TOPは、何か決定を迫られると『前例はどうなっている』・『他行はどうしている』・『君たちはどう思うのか』の三つの質問をするだけで、自分の判断や意見を問われなかった」と書いていました。経営者には“操業”経営者と“創業”経営者があると聞きます。前者は上述の銀行TOPで「職務する」人々であり、これはこれで大切ですが、会社の違いが徐々に分からなくなってきます。一方、創業経営者の知人や某氏は、創業時も今も基本的に「(社名する=)自分する」人達です。創業経営者を知らない人達からはワンマン・独裁者と言われるかも知れませんが、彼らの経営判断には尽きない夢や美意識が含まれていると考えています。
(7期:杉村)
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