7月下旬からTV番組がオリンピック一色となり、各局とも足並みを揃えて競技中継と日本選手のメダルラッシュを報じていたが、一方でコロナ感染者が急増するものの新たな打ち手は特になし。少しばかり“疲れ”を感じた私は関東平野の喧騒から逃れることにした。行先は県境を越えない範囲で奥日光と決めた。当然、日帰り単独行動である。まぁ、ウォーキングのルートを地元の定番コースから中禅寺湖畔に変更した程度のことなのだが、避暑地へのお出かけは妙にワクワクするものである。

翌日午前中、私は湖畔の英国大使館別荘記念公園でアイスティーを飲みながらくつろいでいた。湖面の標高は1,269m、日本一高いところにある湖であり、8月の最高気温の平均が22.6℃。猛暑日が頻発する北関東では“別世界”といっても過言ではない。ここは2016年に開館した比較的新しい観光スポットなのだが、平日ということもあり人影もまばらで、真夏の避暑地の賑わいは感じられなかった。

維新に色濃くかかわった英国外交官アーネスト・サトウがこの地に山荘を建てたのが明治29年(1896年)。彼の離日後は大使館別荘として2008年まで使われていたそうだ。別荘の広縁から眺める風景はまさに「一幅の絵画」である。日本庭園で有名な足立美術館に窓枠を額縁に見立てた「生の額絵」と呼ばれる人気スポットがあるが、ここでは建物とその影が山々の姿とそれらを映す青く澄んだ湖をバランスよく切り取っているように見えた。

やがて季節は移り、正面の日光連山最高峰の奥白根あたりが白い雪に覆われると、紅葉が一気に山を駆け下りる。紅、橙、黄色のクラデーションと針葉樹の緑に囲まれた中禅寺湖が目に浮かぶ。冬景色もそれなりに趣がある。気温は低いが雪の量はそれほどでもなく、湖は厳冬期でもめったに凍らない。1984年2月以来全面結氷は確認されていないそうだ。水深が163mあり、凍りにくい湖ではあるのだが、温暖化の影響も否定できないだろう。そんなことを考えながら、時間の経過を忘れてしまうほど心地よく癒される空間だった。

明治中頃から昭和初期にかけて多くの外国人が湖畔に別荘を建て、国際避暑地と呼ばれていたそうだが、100mほど西側には旧イタリア大使館別荘も公開されている。その建物の正面には桟橋があり、先端まで歩いていくと右側に奥日光のシンボル・男体山が姿を現した。

この風景は私に遠い記憶を思い起こさせた。学生時代の夏、キャンプ場の桟橋から月明かりの中禅寺湖へ仲間たちとボートを漕ぎ出した。昼とは異なる湖上の風と恐ろしく冷たい水しぶきにほろ酔い気分は吹き飛び、あたふたと桟橋に引き返した。今でもその時のメンバーの顔を鮮明に覚えている。ボートの上ではしゃいでいた奴といち早く危険を察知した男は若くしてこの世を去った。生きていたなら……。
「まだまだだぜ。しっかり前向いて生きていけよ!」
そんな声が聞こえてきた。懐かしい顔に気合を入れられた格好だが悪い気はしない。おっしゃる通りだ。

避暑地から戻って一週間ほどするとコロナ禍は災害級となり、日本列島には季節外れの前線が居座り、各地で大雨特別警報が発令される事態となった。この夏休みの息子家族との接点はZoomでのご対面となったが、彼らの先行き不透明感が払拭されるのは容易なことではなさそうだ。ある環境学者に言わせれば「私たちは決定的な10年に入り、それは人類の未来を左右する10年になる」とのこと。来春は上の孫が小学生、2030年には彼も15歳になる。私にもできることはまだあるはず、そう思えたのだ。どうやら湖畔で過ごしたひと時には若干くたびれたシニアをリフレッシュさせる効能があったようである。
(7期生 石巻)

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