変異株が次々と生まれ、ワクチン不足で65歳未満の接種はいつになることやら、感染者数最多記録を更新する地域が今もあり、やはりコロナは長期戦になるようです。ここまで我慢してきたのに今さらかかりたくない! これからもやはり慎重に行動していくつもりです。料理・片づけ・庭仕事、がんばろうと思えばやることはたくさんあり、さぼろうと思えばやらなくてもいい(笑)。オンライン会もずいぶん慣れたし、これもそんなに悪くない暮らしです。一年前はコロナ下での生活を綴りましたが、今回はそれからあった自分にとっての大きな出来事を書こうと思います。

2月に私の故郷を歩いてみました。住んでいる家から6駅しか離れていないのに50年も行くことがなかった、生まれてから小学校3年の終わりまで両親と弟と住んでいた我孫子町(当時)の湖北というところです。
「床屋で読んだ『振袖火事』の漫画が怖すぎた。裏山でスギッパを拾ってお風呂の焚きつけにした。お父さんと渡し船に乗って取手に自転車を買いに行った。」
私の頭の中にしかないと思っていた世界が目の前に在ったことに感動しました。

そこには今も床屋があり、私の「町営住宅」が市営と名を変えた団地があり、利根川の渡し船さえあることがわかりました。裏山には杉の木とその茶色い落ち葉(スギッパ)がわんさとあって、こんな環境で育ったから私は花粉症に強いのかと納得したりして。夫と息子が面白がって半日つきあってくれたことがありがたかったです。ルーツを確かめられた先々で心が躍りましたが、古利根沼を見た時、取り残されているのだと感じました。

湖北から引っ越して結婚するまで住んでいたのは沼南町(当時)の高柳というところで、その「湖」と「沼」というのは同じ手賀沼を指しており、要するにご近所なのでした。結婚した始めの10年こそあちこちに住んだものの、家を建てたのは実家から車で15分の所で、私は人生の大半をこの辺りで過ごし、塾やPTAなどの子育て系の仕事やボランティアをやってきたのでした。

星野リゾートの人が提唱していた「マイクロツーリズム」という言葉は我が家で流行って何度か実行されました。身近なのに見てこなかった場所への旅と理解しています。今回の私の「マイクロツーリズム」でまざまざと過去に出会って、自分は本当にmarginal、辺境の人なのだと気づきました。

湖北と高柳という二つの地名とPTA(会長)ということばで、数年前に殺されたベトナム人の可愛い少女を連想する方がいらっしゃるでしょうか? 私は事件を聞いて痛ましさに胸がつまり憤りましたが、私自身も土足で踏みにじられたと感じました。不本意な偶然ですが、それ以外で生きて来なかった私ととても縁があるのです。私は少女のことを忘れない、生きている間はそういう少女の側に立ち、死んだら探し出してそっと抱きしめてあげたいと思っています。旅の着地点がここになるとは意外ですが、らしいのかも。

もう一つ、一年前のエッセーで書いたことを訂正したいと思います。いろいろ聞いたり調べたりして、今どきプールの水から感染することはまずないと考えるようになりました。塩素に反応したアレルギー症状、あるいは単なる風邪だったのかもしれません。二月にクロール1,000mですから、身体が悲鳴をあげても不思議ではありません。あれから怖くて一度も泳ぎませんでしたが、頃合いをみて再開するつもりです。
(7期 安孫子)

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