「我死にて 残すものなし 吉丁虫」

という俳句が散歩中ふと目に止まり、いつまでも気になっていました。そのようなおり私には最近喜寿を迎えた長年の親友がおりますので、その親友そして私自身のことも含め、「誕生・死・からだ・こころ・兄弟・友人」などについてこの場をお借りしてアトランダムに私の想い感じるところをお知らせしたいと思います。

先ず「死」について。その親友は最近、死とはメメントモリ(死を覚悟して今を生きよ)をモットーにして毎日を人生最後の日として生きることに努めているそうです。換言すれば日々新たに生きることではないでしようか?しかしその実践はやさしいようでなかなかむずかしいそうです。

元IHI・元東芝社長を歴任しそののち経団連会長をされた土光敏夫氏はこう言っています。毎日就寝前に寝床であの時は言い過ぎたなとか、あの場面はすこし感情的になり過ぎたと振り返り、心から悔い改めスッキリしてから寝るそうです。そして翌朝寝床で今日も新たな心で取り組む覚悟をしてから起床するそうです。吉丁虫(タマムシ)は金属光沢があり虹色に光り輝く虫、その輝きはこちらの視点で変化します。人の一生もその明暗は様々、そして今日一日もこころ模様は多種多様。

このコロナ下の昨今、親友は「わたくし(自己中)」と「迎合」をさし挟まないよう、傲慢にならないよう、謙虚に毎日を過ごすよう、努めているそうです。しかし時に偏りが起きたりした時には、日々新たの心構えを覚悟して「人生一日」として暮らしているのだそうです。翻って私といえば「日々新たに」どころか心配していることといえば、身体は有病息災、生活習慣病を抱えるにもかかわらず自分の死については無頓着、最近流石に71歳、死を意識し身辺整理の必要を感じていますが、それでも毎日を唯々諾々と過ごす自分に呆れ果てる今日この頃、まさしくこの機会を得てこれから先の残りの生涯を初心にかえり的をはずさず見直し感謝を忘れずに静かに平安に生き抜いていければと願うばかりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「人生100年」の時代、この前の段落では「人生一日」を生きるについて記述いたしましたが、この対極にある「人生100年」を今まさに生きているお二人がいらっしゃいますので紹介したいと思います。ご両人とも80歳を過ぎた方です。おひとりは女性、現役時代助産婦として活躍され、現在趣味の太極拳、短歌創作に毎日活き活きとされていらっしゃいます。もう一方の方は男性芸術家で主に瓦に使用するような粘土の彫刻作品を創り各地の美術館などで展示会をされています。最近は平和をテーマとして縄文文ようなどを使用した作品を中心に創作展示活動をされています。

「人生1日時代」「人生100年時代」どちらもお見受けしたところ、それぞれの人生にがっぷりと組み向き合い、輝いておられます。わたくしも残りの人生をそのように生き抜いてゆきたいと感じる次第です。あとは実践あるのみです!(7期生 古田裕)

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