この夏に大学卒業後12回目の引越しを行い、栃木県小山市にある私の実家に転居した。母親(93才)がついに在宅・独居を断念してサービス付き高齢者住宅へ移り、空き家状態を避けるために私が“ふるさと”に帰ることになったのである。
9/11付のゲスト投稿「ふるさとは遠きにありて思うもの」(記:馬淵さん)では、かつてグラバー園から眺めた港の風景や稲佐山からの夜景が心に浮かび、 “ふるさと長崎”の素晴らしさが馬淵さんの息遣いとともに生き生きと伝わってきた。
一方、私の “ふるさと小山”は長らく暮らした浦和から関東平野を少々北に移動しただけで、新幹線の停車駅という利便性から、人口は微増を続けているごく平凡な北関東の街なのだ。市内を流れる思川(写真上左)にかかる橋から自宅方向に目を向けると、小高い丘に緑が目立つ。平安末期から戦国時代までこの地で勢力を誇った小山氏の居城跡などだが、整備が不十分で知名度は高くない。つまりSNS映えするスポットには恵まれていないのである。
しかしながら、私にとっても“ふるさと”はそれなりに居心地がいい。慣れない一戸建てで草むしりやその他の雑事も多いのだが、なぜか落ち着くのである。近隣の風景は大きく様変わりした。子供の頃には住宅が密集していた一画が広い駐車場を備えたコンビニとなり、目の前の小学校では私が通っていた頃の校舎は跡形もなく消え去った。
その中で変わらぬものが一つある。自宅の庭と4m道路を挟んで見える小学校の校庭にはブランコやジャングルジムなどの遊具が並び、休み時間にはドッジボールに興じる子供たちの歓声が家の中まで聞こえてくる。この校庭は文字通り“私の庭”だったのだ。
「ドッジボールは腹で取る」
これに気づいたのは、たしか4年生の体育の時間だったかな。
授業の終盤、コート内に私が一人残り、相手チームの複数名の中にテツオがいた。彼はクラスで一番“スゴイ”球を投げる。当時の私のプレースタイルは“ひたすら逃げる”のみ。勝利を確信したテツオはコートの一番奥まで下がり、助走をつけて投げ込んできた。ボールは低く私の下腹部めがけて飛んできた。全く動けなかった。衝撃を和らげようとした私の動作がみぞおちあたりでボールを抱え込み、ボールが地面に落ちることはなかった。
残念ながら奇跡は2度起こることはなく、ほどなくゲームは終了したが、休み時間に委員長のマユミちゃんが私の机に駆け寄ってきた。
「修ちゃん、スゴかったね!」
この一言が私の行動を変えたのかもしれない。私は朝早く登校するようになった。誰もいない校庭にジョウロの水でドッジボールのコートを描き、友人たちの登校を待ち構えた。誰かに命じられてやったことではない。学校が近く、集団登校の義務がない私には造作もないことだった。毎日が楽しかった。
やがてボールに向かっていく気持ちとともに、ひ弱だった体にも少しずつ力強さが加わってきたようだ。6年生になる頃にはテツオと並ぶドッジボールのクラスの主役に躍り出ていた。その後、私の学校生活は体育会系一筋となっていったのである。
ドッジボール以外にもこの場所は様々な事柄を私に与えてくれた。さらには60代半ばで舞い戻った男に「私が何者なのか」を気づかせてくれた。漠然と感じている居心地の良さはこれと無縁ではないはずだ。朝ドラの主人公“なつ”が十勝でパワーをもらい、新たな一歩を踏み出す気分に近いのかもしれない。
そういえば、朝ドラに出てくる俳優はいい男ばかりなのだ。草刈正雄のような存在感のある“じぃちゃん”になるには、さてどうすればよいか。私の孫は二人とも男なのが残念ではあるが……。(7期生 石巻)
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