ブルネイに行って来た。ボルネオ島の北西の片隅にある小さな王国。広さは三重県ほど、人口42万人を少し越す。正式国名はブルネイ・ダルサラーム、永遠に平和な国という意味。その意の通り、周辺の国々にくらべて治安も格段に良いと聞く。
豊かな国で原油と天然ガスが採掘され、国民の給与平均は東南アジアで最高。教育・医療は無料だそうだ。小さな国で似たような国があった。一月に訪れたコスタリカ。教育・医療・福祉に国でお金をかけている点、けれど軍備はない。ブルネイの軍隊は志願兵によるもの。国民の個人の税金は無く、生活水準は高い。自動車は一家に2台以上、イスラム教の国である。
この春、成田から直行便が飛ぶようになり時間は短縮され、6時間程で首都のバンダル・スリ・ブガワンに着く。急に近くなった様な気がする。行ってみようかな、と思った。7期のある会でこの話をすると、木村さんが「ちょうど良かった。ブルネイに行ったら、木村強という人について調べてきて。」と言う。親戚かと思ったが、そうでもないらしい。木村さんが調べたプリントをもらってブルネイに飛び立った。
空港に近くなると緑の中に金色の巨大な玉のようなものが夕陽を反射して輝いているのが見えた。純金のモスクの屋根。さすが金持国と言うべきか。ホテルに着く。その広大なこと、豪華なこと。元々は迎賓館として造られたもの、ここに三連泊。
首都で観るべきものといえば、先ずモスクだろうか。前王第28代王のオールドモスク。現王のモスクは別称ニューモスクとも呼ばれ最大。29代に因み、中央の階段は29段、柱も29本という凝りようだ。5000人を収容得きる大きさだ。夜間はライトアップされて夢のように美しかった。
カンポン・アイル。水上の集落。モスク、小学校、役所関係から消防署、勿論住宅も道路も水の上。一見して派手ではない家々だが、中に入ると広い居間やインテリアは立派だった。水上は野生動物の危険がなく、ハリケーンや地震は起こらない所で常に穏やかな風が吹いている。住むにはとても良い場所と思った。上下水道も完備。国民の三割は水上の集落に住んでいる。豊かな所だ。ブルネイは今でこそ豊かな国だが、昔は貧しい国だった。
第二次世界大戦中、イギリスの統治下にあった。日本軍が侵攻し日本統治に代わった。日本ブルネイ県。初代の県知事が木村強。木村はブルネイから何ひとつ搾取せず、王の権威を守り、少数民族を保護した。イギリスも日本も油田の開発と搾取を狙っていたのだが木村はそれをしなかった。自生のゴムの木が多いのに目をつけ、工場を設立、収益はブルネイの物とした。軍部の強い反対にも屈せず、自分の信念を貫きブルネイ人との関係を大切にした。ブルネイ人の秘書を要求した時、王は20歳の青年オマルを与えた。オマルと共にブルネイ人のために働いた木村。だが一年も経たずして移動の命が下る。この短い任期中、ブルネイ人の生活は変わり、国の基礎ができ、奇跡の一年と言われた。(右写真:出所 http://kaigaikeikaku.com/archives/1008)
20年以上も後、王に乞われて木村が王宮を訪れた時、彼の前に現れたのは当時26歳だった秘書オマル、兄王の遺志をついで王となっていたオマル王(第28代王 オマル・アリ・サイフディン3世)だったという。
木村氏について新しい情報は得られなかったが、添乗員の松本さんがこの話を船の中でしてくれ、とても嬉しかった。
両国の友好関係は続き、東日本被災の折には王や国民から多額の義援金が送られたと聞く。(7期生 近藤秀子)
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