このごろ鳥のさえずりをよく聞く。庭のモチノキに赤い実がたくさんなっているから。どうぞ、お食べなさい。
来月、ブロック塀の建て替え工事をすることになった。夏の終わりに市の広報に古いブロック塀をなくしましょうという記事が載ったことがきっかけだ。 二十余年前に家を建て替えた時、南側の古いブロック塀だけそのままにしてしまっていた。塀の内側の庭を惜しんだのだ。坂の途中の土地で南側が低く、盛り土をした庭を塀で支えていたので、工事が大変そうだったこともある。
そこには夫の父が造った、ささやかではあるが昭和の価値観を体現したような庭があった。池の周りには大小の石、椎、松、モチ、金木犀、もみじ等の木々が配され、ひときわ大きな岩にはツツジ等が植え込まれ、かつては滝も流れていた。池は埋め、松も枯れたが、他は何とか維持してきた。処分した実家から移した灯籠や蠟梅も加わった。手をかけるときれいなこの庭を私は愛していた。
中に重機を入れるので撤去しないと工事ができないそうだ。巨石や大木は危険だから置けないと言われた。塀から離れたところは残せないだろうか。どかしたとしても低い木々や大きくない石ぐらいは戻したいと願っている。でも、根づくかどうかはわからない。
この夏、旅行がキャンセルになってぽっかり空いた一週間、夫が高枝切りバサミを使ってずいぶん上手に木々を剪定してくれた。まさか、それが最後になろうとは。 五十年来の木々よ、少しは供養になっただろうか。甲斐性なしだと思うだろうか。
ここが平地だったら、庭がもう少し広かったら、何とか残せただろうが、そうではない。だから、この庭を残すことはできない。そして、生きているきれいな木々を殺そうとしている。器物損壊だ。これが犬なら、どんなになっても絶対に最期まで看るのに。
ほんとはここには、ノーベル章の本庶佑先生の「6つのC」という言葉にからめた話を書くつもりだった。「Curiosity」という題も決めていた。塩の柱になったロトの妻は、可哀そうだがやはり振り向いてはいけなかったのだ、ともつなげたかった。健脚だった自分をなかなか取り戻すことができないでいる。これまでとはちがう者になったと感じるからこそ、メランコリーに沈むことはしないと思っていたのだ。
「11月中旬」が私のいただいたここに書く順番で、写真の扱いが不得手なので、10月半ばには担当者様に原稿を送らなくてはならない。このタイミングでこうなるのも運命か。
いざ書いてみたら、平常心でいられなかった。庭木が自分に思え、子にも思えて、この状況ではどうしても他のことが考えられないのだ。人にはどうでもいい庭だろうが、私にはかほどに大切なものだった。身体からもぎ取られるようだ。
最後に、北側の玄関で風に揺れているシュウメイギクの写真を載せて、このエッセーを笑顔で閉じたい。10年近く前、実家にあった草木を植木屋さんに頼んで移植してもらったものの一つだ。初めは咲かなかったが、ここ数年、きれいな花を長く咲かせてくれるようになった。根づいたのだ。花はタフだな。私もかくありたいと思う。
(7期 安孫子)
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