今年、2018年の夏は暑かった。東京でも35℃クラスの日が何日も続き、「もういいよ」という、諦めにも似たため息を毎日吐いていたような気がする。でも、秋は必ずやって来て、あっという間に肌寒い気候に変わってしまった。秋が好きな人は多いと思うが、私は秋はあまり好きではない。だんだん陽が長くなり暖かくなって行く春と、陽が短く寒さに向かう秋とでは、たとえ過しやすい季節と言えど、やはり気分の高揚感が違う。これは自分の原体験によるのかもしれない。
私は、5歳から10歳頃まで秋田に住んでいたことがある。生まれは東京なのだが、親の仕事の関係で秋田の山奥に移り住んだ。と言っても、親が「きこり」だったわけではなく、素材系の会社に勤めていた父が、鉱山(銅山)のある事業所に転勤になったため、家族で引っ越したわけだ。1950年代から60年代初頭までは、日本では石炭の採掘もまだ活況を呈していたし、鉄や非鉄金属も盛んに採掘されていた時期。そういうものを採るところは、山奥と言ったがまさに「山」そのもの。一応都会と言われているところに生まれた自分にとって、たぶん、月か火星に来たと思ったのではないだろうか。でも子どもだったので、そのときの感情はまったく憶えていないが、いま想い起こしても、そのとき見たり聞いたり、経験したりしたことは、かなりはっきりと記憶に刻まれている。
とにかく四季がはっきりしている。雪解けとともに小川が流れ、木々が芽吹くとあっという間に真夏の太陽が降り注ぐ。と束の間に、秋風が吹き一面の紅葉に彩られ、そして白以外の色は全くなくなり深い雪に閉ざされた長い長い冬が訪れる。
冬は、北国にとって宿命的なもの。その長く寒い冬が訪れる不安・焦燥・あきらめ。その冬を耐え忍ぶためのすべての準備に「秋」は使われる。厳冬期の暖房器具は薪ストーブだ。太さ50センチ以上もある丸太を、長さ4、50センチほどに器械で輪切りにしたものを、役場の人が各家々に何十個も配っていく。それを各家が、太さ10センチほどに割る。つまり薪割り。それを家の周りに縁の下から軒まで一面にうず高く積み上げ、それがひと冬の薪ストーブの燃料になる。もし足りなくなったら大変なことになる。それが家庭でもお店でも学校でもおこなわれる。
ふと空をみあげると、あの透き通るような夕焼け空に何千何万という赤とんぼが舞っている。それはこれから長い長い冬が来るという知らせでもある。子ども心にもそういう心寂しく、悲しい美しさが、はっきり刻まれた時であった。
冬は本当に長くて、寒くて、つらかった。冬季の体育はすべてスキーだ。雪さえ珍しい自分にとって、生まれた時から雪まみれで育った現地の子どもに混じって、リフトもない山をスキーを履いたまま登らされ、そしてあっという間に急な坂を滑り降りる。ずいぶん辛く苦しい思いをしたような気がする。私は憶えていないが、吹雪の中を学校から帰って来た私を見た母が、雪だるまが帰って来たと思ったと、冗談半分本気半分で言っていた。
いまはどこの北国でも、舗装道路は除雪が施されているようだが、私のいた頃の秋田の山奥は、道も、家も、山も、一面雪に覆われてただただ真っ白な世界だった。その長い冬が終わり、雪が融けだし待ちに待った春がやってくる。今でもはっきり憶えているのは、世の中すべて真っ白だった雪の下から真っ黒い土がみえた、これは感動だった。
都会でも冬は寒い。秋は冬の前奏だ。秋はやはり、寂しい季節であると思う。
(7期生 佐野英二)
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