書く、ということ

 皆さま、明けましておめでとうございます。私は、2年目の新人ですので、今年も、ご指導のほど、宜しくお願いいたします。

 さて、ほぼ1年間のゼミを終えての感想ですが、正直なところ、想像していた以上に、セカンドステージの皆さんの勉学意欲のおう盛なことにビックリしています。私があれこれ教える、というよりは、私が、皆さんの多方面にわたる豊富な知見に接し、いろいろと教えられるところの多かった1年でした。経済や政治についての話題であれば、私の専門でもあるし、皆さんと正面切って議論することもできますが、日本文学や音楽論となると、さすがに私には荷が重かったと白状せざるを得ませんが、それでも皆さんが付き合ってくださったのは、論文の書き方、というお作法について、私なりの経験をお伝えできたからかもしれません。セカンドステージの趣旨のひとつに、確かに、これまでの人生を振り返って、あるいは自分の考えをまとめるために、兎に角、自分のために論文を書いてみる、ということがあると思いますが、同時に論文である以上、他人に読んでもらう、またそれに値する論文を書く、という、技量を磨く場でもある、と思います。

アントワープで開催された、ヨーロッパ経済学史学会のディナーパーティーで

 学生の頃、長い卒業論文を書いたことのある人でも、もう何十年も論文らしきものを書いていない人は多いのではないでしょうか?そうした、論文を書く、という訓練は、単に知識を得たりまとめたりするためだけでなく、自分の立ち位置を確認する作業でもあり、他人にも読んでもらうことが前提ならなおさら、自分自身について客観的にも見据えることができる絶好の機会だと思われます。私のつたない経験からひとつお伝えしたいこと、それは、書くことによって、自分の思い込みの誤りに気付いたり、普段何となく考えていることにしっかりとした輪郭を与えてやることができることです。皆さん、セカンドステージを修了しても、是非、「書く」という努力を何らかの形で続けていただきたい、と願い、これを私からの新年のメッセージといたします。

黒木 龍三

立教大学 経済学部 ビジネスデザイン研究科教授

立教セカンドステージ大学 教員

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九期生・編集チーム