「人権と貧困を考える会」は倉沢 宰先生を顧問として会員16名(男性6名 女性10名)で構成されており、毎月1回定例会を開いています。2026年度は吉田裕著『日本人の戦争観-戦後史のなかの変容-』をテキストにした学習会と年2回のフィールドワークを計画しており、本年第1回として江東区北砂の「東京大空襲・戦災資料センター」を12名の会員が5月22日に訪問した。
昭和20年3月10日未明に約2.5時間にわたる300機のB29爆撃によって10 万人の「命」を奪った非情な戦争を体験された当時中学生の竹内静代様の貴重なお話を拝聴することが出来た。
説明者: 竹内 静代様
95 歳でおられる竹内様のお声は張りがある上にその内容は明晰で理路整然として流れるような説明であった。一人の少女に与えた戦争の傷跡の深さに私たちは言葉を失うと共に、その災いを奇跡的に生き延びることが出来た方の生々しい謦咳に接して、参加者一人ひとりの心の中に戦争の途方もない痛ましさが深く刻まれた一日であった。
* 竹内様のお話のいくつかを記述させていただく。
・ 「東京駅まで飲まず食わずでひたすら歩き、真っ黒い世界が広がり、死体を見ても何も考えられなくなってきました。」
・「私は生き残ったということにある種の罪悪感を覚えました。」
・「被災地の葛西から故郷の出雲に避難するのに、東京駅から列車に乗り3日間飲まず食わずでした」
・「戦後、埼玉県の戸田から中央区の有馬小(深川高校の仮校舎)に2時間かけて通い、学べることの幸せを噛み締めました。」
・ 「あの日の出来事はトラウマとして今でも私には残っています。朝焼けの赤い空を目にしたり、甲子園球場の高校野球のサイレンを耳にしたりするのは今でも私は嫌いです。」
・ 「ごく当たり前の日常が毎日毎日保証されること、それが平和です。」
* 会員の感想
・空襲体験者の継承講話は心に響く内容でした。
・攻撃する側の人間は、当たり前の日常が続かないこと、当たり前に生きている人の日常を奪うことをどう思うのでしょうか?
・当時は怒るということを知らなかったと語った。人権や教育の問題はとても重い。何気ない 日常の連続それが平和、改めて噛み締めている。
・地獄のような光景を前に涙を流すことさえ忘れ「極限の防衛本能」だったのか。
・「平和というのは弱っちいのよ、だから放っておいてはダメ、ずっと守っていかなければいけない」という強いメッセージでした。
・体験者のお話しはインパクトがありました。学生の見学者はいましたが、若い人に体験を伝えて頂くことは、とても意味のあることです。
・歴史の生き証人の重大性を認識する痛烈な一撃となった。
・語り部の方のお話、心にしみました。実体験はこんなにも心を動かすものなんですね。
・最終的には“怒り”を覚えなかったとの語りは、当時生きた方としての印象に残る言葉・感情でした。
・東京大空襲の悲惨さや戦後補償の問題も含めて大変な犠牲をはらった「戦争の悲惨」だったのだと改めて思い直しました。
・昭和天皇の敗戦を伝えるラジオ放送「耐え難きを耐え 忍び難きを忍び」 日本人は諦めもあるためか我慢 忍耐が美徳になっている。 個人よりも集団に重きを置く風習もありこの価値観に道徳的に順応してしまい異議申し立ても周りの顔色をうかがいながら遠慮がち。
人権と貧困を考える会 代表 河原木 雅生
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