私の生まれは、埼玉県大里郡寄居町、関東平野が秩父山地に迫る西北端、いわゆる山麓地帯の一角にある。その寄居町のホームページを見ていたら、昨年が合併70周年に当たり記念事業の一環として記念誌を発行し住民や元住民からエピソードを募集するという。それに応募してたまたま採択された、地元を離れてすでに60年、町の様子や住む人は大きく変わっていようともふる里はいつになっても故郷だ。

寄居と言えば、池袋が始点の東武東上線で75キロの終点に位置する。立教大学の学生の頃は、毎朝5時起きして6時16分発の始発電車で池袋に向かい1時間40分、一時限の授業に間に合わせた。その当時から寄居駅は全国でも珍しくローカルでありながら旧国鉄・JRの八高線と秩父鉄道とともに3線が接続していて町内になんと8つの駅があった。(現在は9つ)

 昭和30年2月に近隣の4村と合併して新しい寄居町が発足したが当時の人口はおよそ2万7千人、高度経済成長期を経て昭和50年に関越自動車道(花園ICが近接)などもあって、昭和57年に3万7千人まで人口の増加を見た。もともと基幹産業と言えるものはなく農業と商業が中心で、東京都心への通勤には少し難があるものの交通の便と住環境の良さがそうさせたものだろう。その後、人口は漸減して現在は3万1千人余りとなっている。

寄居の市街に寄り添うように流れる荒川は、秩父山地を抜けてその浸食作用によって河岸段丘を構成している。玉淀河原の沿道はソメイヨシノの並木になっていて、その時期には花見客でたいそう賑わう。岸辺に降りると清流は、子供の絶好の遊び場で、大人がコロガシでアユやウグイを狙う脇で、ポッカン釣りやアンマ釣りに興じた。毎年8月5日の玉淀水天宮祭には花飾りをつけた舟山車が行き交う中で花火大会が行われる。玉淀河原の対岸の崖上が北条氏ゆかりの鉢形城址だ。その頃はただの雑木林であったが後年史跡公園として立派に整備されている。

目を山に転じれば秩父山地の外輪部にあたる釜伏山(標高582m)登谷山⁽669m)があり、頂上から広い関東平野の奥の方まで眺められる。最寄りの波久礼駅(寄居から秩父に向かって次駅)から蜜柑の北限と言われた風布(ふうっぷ)地区を経て2~3時間のハイキングコースになっていて学校の遠足などでよく登ったものだ。その一角で中学生の頃、町が企画したキャンプに誘われ、その経験がきっかけに高校で山岳部にのめりこむことになった。

寄居町にゆかりのアスリートとして古くは1968年11月第2回柔道世界選手権で曾根康治八段が優勝、1961年の第3回でアントン・ヘーシンクに敗れて準優勝となる。時はずっと下って2021年東京オリンピックの柔道女子70キロ級で金メダルを獲得した新井千鶴選手は、世界柔道選手権2017年・2018年で金メダルなど数々の輝かしい成績を残している。陸上長距離では設楽悠太・啓太の双子兄弟がいる。悠太は2018年の東京マラソンで2時間6分11秒と当時の日本記録を達成している。兄の圭太は、東洋大学で2014年の箱根駅伝で5区の区間賞を獲得しその年の総合優勝に貢献した。

ここに紹介したのは遠い記憶の一部にすぎない。気づいた時に両親は時代の潮流に翻弄されたうえにかなり高齢になっていた。しかし私は高校では毎月の山行、大学に入っては休暇のたびに周遊券とユースホステルで全国を旅して歩き、就職しては初任地が大阪であった。寄居の町には22歳までしかいなかった。その時は何も言われなかったが、両親にとっては本当に寂しい思いの毎日であっただろうと思う。さらに私が20代の時に相次いで逝ってしまった。「親孝行したいときには親はなし」とか、あらためて悔恨の念を強くしている。 (左上写真:寄居玉淀水天空宮祭) 

こちらも既に結構な老境に入りいろいろと体調の不調を感じるこのごろであり、ふる里に思いを寄せながら、残された日々はできるだけ生き生きと送りたいと思う。

70周年記念誌によれば、行政と町民の努力で今日の寄居町があり、合併70年を期して「誇りある美しい町・寄居」を目指すとの峯岸町長のお言葉である。さらなる発展を祈念している。
(七期生 清水誠)

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