ふた月前の冬の朝、ゴミを出していた私の後ろを人が通り、声が聞こえた。
「ちゃんと、言うことを、守って――」。
黒っぽい服を着た若い男の子が角を曲がって行くのが見えた。
ナワリヌイ氏が亡くなって、一年前にここで話題にしたことに責任を感じている。知らん顔して別の話をすることはできない。せめて精一杯の自分の言葉で返したいと思った。でも、書けない。道で独り言を言っていた人が気になるのは、私もうまくしゃべれないでいるからだ。
そんな時、私に「オッペンハイマー」がぶち込まれたのは天の配剤だろうか。何だかむかつくので気乗りしなかったが、つきあいで行ったのだ。さすがアメリカの圧倒的な映像と音響で、映画の世界に没入した。オッペンハイマーになり、自分自身に戻り、次々とやって来る奔流にもみくちゃにされながら頭の中でああだこうだ叫んでいたような三時間だった。
・降伏していなかったらドイツだったのか。
・日本が先に作ったら、もちろん落として喝采しただろう。
つまりこの人は、この競争の一等賞の人だ。その地に友人が一人でもいたら、そんなことはできないと思っただろう。結果の甚大さは未知だった。この人は苦悩したが、トルーマンはしなかった。
俺の話を聞け、という爆風。人に伝えるには有効だ。「敗戦間際の国に落とす必要があったのか」という声を入れて相手に配慮もしている。これに応える映画を日本にもぜひ作ってほしい。もっとお互いのことを理解し、話し合えたらいいと思った。
この映画だけでなく、人が本心をもらした言葉は心に響く。たとえば、広島でチェ・ゲバラが言ったという
「こんなことをされて怒らないのか」。
海外ドラマで有色人種の若い女の子が友だちに言った。
「キリスト教も仏教もきらい。乞食みたいなんだもの。それに自分がされたわけでないのに何で許すって言えるの?」。
そこから対話を始める。異論には、忍耐強く相手への敬意を持って向き合う。そうして争いごとが減ったらいい。だから、私もいつも思っていることを書いてみる。
実は、「オッペンハイマー」の二日後に、鳥のフンまで頭に食らった。それは私には、高校以来五十年ぶりにして二度目の人生の珍事であって、“言っちゃえ自分”と思った。
ユダヤ教、キリスト教のローマ・カトリック、プロテスタント、ロシア正教、イスラム教、私もそこに生まれたらそれを信じたのかな。それぞれが馴染んだ「神」を信じるのは理解できる。でも、
・あなたがたの信じる「唯一神」は、同じではないの?
・もめるのは、それぞれが自分に都合のいい解釈をした「神」だから?
共通の聖典である旧約聖書の詩篇には「私のためにあいつを殺して」という言葉が何度も出てくる。それで勝ったら、我が神こそが唯一の神だと言う。強ければ偉いのか。敵なら殺してもいいのか。弱肉強食の論理だ。それならむしろみんな似ている。それは「唯一神」ではなく「部族宗教の神」だと思う。日本と同じ。
それから、ユダヤ教徒にもキリスト教徒にも一言。部族の外では「約束の地」は通用しない。ユダだけでなくイエスもマリアもユダヤ人だということを忘れないで。
そんな宗教ならない方がましだと思っていた。だれもイエスに全然似ていない。似たいとも思っていない? 貧しくて見映えがせず、強くも利口でもなく、いつも一番下で泣いている人のそばに行こうとする。その目には争うどちらも愚かで悲しく見えて、そのどちらも悔い改めて私についてくるなら許すと言う。
この人はひとりぼっちでしゃべる人の傍にもいるのだろう。そんな話が伝わって来たので、もし「唯一神」があるのなら、そういう者ならふさわしいと私は思った。でも、全知全能の力強そうな神も、人に強制してやらせるのを好まないところで、実はイエスと似ているとも思っている。為政者たちはそこのところをよく読んでほしい。(7期生 安孫子)
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