今から10年前、劇団文学座が主催する40歳以上の男女を対象としたプラチナクラスに入学した。オーディションでは文学座の若手俳優を相手にその場で渡された台本を読み、試験官の前で円を描くように教室を一周した。合格者25名の内訳は女性19名、男性6名で圧倒的に女性が多い。女性の中には地域で演劇活動に携わる人もいて、全くの素人は私を含め数えるほどしかいない。もっとも演出家によると、悲しい場面でことさら悲しく演じると観客は白けてしまう。むしろ淡々と演じたほうが印象は強い。得てして経験者の方が感情を入れ過ぎ、ダメ出しを受けるケースが多いという。
クラスの期間は6ヶ月で、毎週火・土曜の2回各2時間半ずつ文学座の演出家や俳優が演技・発声指導を行う。卒業発表会は杉村春子さんの代表作「女の一生」。文学座に入ると女性の研修生は必ず主人公の布引けいを演じるそうだ。私はけいの夫伸太郎を演じた。卒業後はプチナクラスOBで作るプラチナネクストで3作品に出演したが、その中で最も印象に残っているのは「十二人の怒れる男女」である。本来これは全員男性による芝居であるが、女性が多いので題名を男女に変えて上演した。
スラム街に暮らす少年が父親をナイフで殺害した事件を審理するため12人の陪審員が選ばれる。舞台は彼らが陪審員室に入るところから始まり、有罪の主張が続く中8号だけが無罪を主張する。1人の女性の目撃と階下で物音を聞いた老人の状況証拠だけで有罪とする他の陪審員の論拠を、8号は説得力ある推理によって論破していく。遂には全員が無罪に鞍替えし、偏見や思い込みによる判断がいかに危ういかを浮き彫りにする。
私はこの芝居で1号(陪審員長)を演じた。難しいのは自分を含め陪審員が書いた有罪・無罪の紙を読み上げるシーンで、特に無罪の紙を見た時の心の動きをどう表現するかに腐心した。大多数の観客は筋を知っているので、淡々と読み上げる中に一瞬の戸惑いを表現する間の取り方が難しい。稽古の時は演出家から執拗にダメ出しを受けたが、芝居が始まれば演出家の入る余地はなく、出演者の判断によって台詞の抑揚や強弱を工夫できると分かって芝居の面白さに触れたような気がする。この芝居は容疑者の少年を始め、父親、目撃者、証人は登場せず、狭い空間に集まる陪審員の話し合いによって評決に至るまでの過程が描かれる。1957年にヘンリー・フォンダの主演で映画化され、日本でも配役を変え毎年のように上演される名作である。
日本ではコロナ禍によって3月頃から演劇やコンサート等のイベントは中止を余儀なくされた。ようやく7月末から公演は再開されているが、3密を避けるため観客数は収容数の半分以下に限られる。一般的に演劇公演は観客が定員の80%入れば黒字化する前提で予算を組んでおり、公演を再開しても赤字は避けられない。仮に満席を容認しても、インフルエンザが流行する秋から冬にかけ先行きは不透明だ。俳優座や民藝といった大手劇団でもテレビや映画出演の多い一部俳優を除いて、大多数の劇団員はコンビニ等のアルバイトで生活費を補填している。コロナ禍によって出演機会がなくなれば当然収入は途絶える。
世界的な指揮者パーヴォ・ヤルヴィ氏は「芸術は人間社会の基幹の一つで、存続のために支援を必要する」と言い、欧米の人々は音楽・演劇は贅沢品ではなく生活の一部であるとする意識が強い。翻って日本では「好きでやっているんでしょ」「芸術がなくても生きていける」という声が多く、公的助成への抵抗は大きい。音楽や演劇に携わる人々が生活の心配をすることなく専門分野の研鑽に励み、芸術が生きる上で大切なものであるという文化を根付かせたいと思う。(7期生 福島正純)
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