群馬県には、大人も子どもも諳んじることができる郷土かるた「上毛かるた」がある。「ま 繭と生糸は日本一」「け 県都まえばし生糸の市(いとのまち)」「に 日本で最初の富岡製糸」など、絹産業に関連した札が多い。でも、今の子ども達は、かるたの読み札としてしか養蚕や製糸業を知らない。
昨年、前橋市南橘地区の仲間と一緒に、地域の絹産業で活躍した先達について調べた。そして、その先達の1人について仲間と紙芝居を作った。出来上がった紙芝居を、市のイベントや地元会合で披露したところ思った以上に好評だった。そこで、地元小学校の子ども達の前で、朝の読み聞かせの時間に読ませてもらった。
紙芝居は、「蚕の先生 松太郎さん」の話である。県北部片品村の養蚕農家に、戊辰戦争(会津戦争)の官軍が押し寄せた時に、勝手に囲炉裏でどんどん火を燃やし二階まで煙が行ってしまった。蚕は全滅かと心配したが、反って蚕は元気になり良い繭が沢山獲れた。「いぶし飼い」養蚕術として確立され、南橘地区から峠を幾つも超えて、いぶし飼いを教わりに行き、今度は自分の周りの人達に飼い方を教え広めた人である。お陰で地域の養蚕農家では、沢山の繭で収益が上がり、皆が地域発展に力を尽くしたとのこと。
我々は、紙芝居への子ども達の反応が、思ったより良かったことに気を良くし、桑畑も蚕も見たことない子ども達に、1つの話だけでなく、もっと新しい紙芝居を作って見てもらいたいと欲が出てきた。
紙芝居のシナリオ原案作りは、私の役目である。まずは、蚕のことをきちんと調べようと、7月15日曇天の午後に、自分で車を運転して高崎市にある「日本絹の里」を訪ねた。ちょうど、夏休み子ども展「学ぼうカイコ」が開催されていた。私の生家でも養蚕をしていたので、蚕と遇うのは約40年振りになる。卵から孵化し2回脱皮するまでの稚蚕の間は、温度管理や病気予防のため共同飼育所で飼い、各家で飼うのは3齢からだった。写真のように、大きい桑の葉っぱをワッサワッサと喰うのは、4回脱皮した5齢位だろう。たっぷり桑を喰い大きくなった後、ピタリと喰うのを止めて繭を作る準備をするのである。
蚕は、卵→幼虫→サナギ→成虫(蛾)と姿を変える完全変態の昆虫だ。紙芝居で子ども達に、「すごい!変身するんだよ。」と語るところである。熟蚕が、口から1,300~1,500mもの糸を吐き、2日間で綺麗な白い繭を作ってしまうのだから驚きである。
次は「日本絹の里」を後にして、国内養蚕・製糸業を世界一の水準に牽引したと言われている世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の1つである「富岡製糸場」に向かった。4回目の訪問であるが、1人で来るのは初めてだ。1回目は、世界遺産に登録されて間もなく友人の運転で。2,3回目は、県外の友人と一緒に、高崎駅から上信電鉄に乗って上州富岡駅まで来た。いつも感銘を受けるのは、明治5年に建物が完成し、当初の官営から民営に移って、昭和62年操業停止した後も片倉工業(株)によって、ずっと建物が大切に保管されたことである。(現富岡市所有)。是非、多くの方が富岡製糸場等を訪れ、その価値や素晴らしさを感じてほしいと思う。
さて、今回の「日本絹の里」と「富岡製糸場」訪問の目的は、子ども達に見てもらう紙芝居作りの情報収集であった。次の紙芝居は、蚕の卵(「蚕種(さんしゅ)」という)の生産をした蚕種屋(たねや)の話である。8月に、仲間と一緒に元蚕種屋のお嫁さんだったお婆様を訪ね、いろんな話を聞かせてもらおうと計画している。何も知らない子ども達に分かってもらうには、私たちが理解することが大事だと思っている。(7期:笛田淑子)
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