「つむぐ会」(旧・月本ゼミ)活動報告~市ヶ谷・防衛省見学の記~

桜の開花宣言から10日程度過ぎ、ようやく4~5分咲きとなった4月3日(月)に我々「つむぐ会」メンバー総勢9名は市ヶ谷にある防衛省本部の正門前に集合した。その外観たるやさすが日本国防衛の中枢であることを強く印象付ける堂々たる姿である。
パンフレットによれば、これらの庁舎群は日本古来の伝統様式である「伽藍建築」をイメージに盛り込んで、大型の回廊等の採用により「平等院鳳凰堂」に類似する形状を追求したという。当日の見学者は、我々つむぐ会メンバーと他団体の参加者を含めて全体で40名程度である。

正門で身分証明書を求められ、厳格なるチェックを受けていざ構内へと入る。先頭に立つ案内人に引率されて、正面のエスカレーターに乗って本部庁舎前へと向かう。この場所(市ヶ谷台という)は江戸時代には尾張徳川藩の上屋敷があったところであり、小高い台地になっている。全体の敷地面積は約25ヘクタール、海抜約32メートルの場所にある庁舎群内に約1万人の職員が勤務しているという。

始めに案内されたのが「儀仗広場」である。野球ができそうな広さがあり海外からの要人を歓迎する場所にも使用するとのこと。条件がよければ遥かかなたに富士山を眺望できるという、これぞ正に日本国であることを知ってもらうには絶好の場所であろう。

続いて、「市ヶ谷記念館」へと向かい、構内にて解説を受けてその後内部見学。この建物は平成12年5月、防衛庁が六本木から移転した際、当時の建物の一部を後世に残すために移築したものであるという。我々の世代では、当時、楯の会のメンバーが自衛隊に乱入して、三島由紀夫が2階のバルコニーから隊員に対して共に決起を促す演説を行った場所として強く記憶に残る場所である。

また、同館には敗戦後に極東軍事裁判(東京裁判)の法廷として使用された講堂の一部が当時の建築材のまま移築されており、館内には当時の関連資料が展示されている。限られた時間であったが、歴史の一部を振り返る貴重な機会を得ると同時にそれぞれの遺物が我々に何かを訴えかけており、当時へタイムトラベルしているような錯覚を覚えたひと時であった。

勿論、国家の防衛中枢場所であるために各所の写真撮影は厳しく限定さており、かつ、勝手な行動は許されない。見学者の行動は担当官によって厳しく管理されており、移動時の列の乱れも厳しいチェックが入る。久しぶりに心が引き締まる思いである。なお、今回の貴重な見学の機会を得られたのはつむぐ会のメンバーの中に現職の自衛官の方がおり、何かとお世話をいただいたお蔭である。改めてこの場を借りて御礼申し上げます。お世話になりました。

見学会の所要時間は約2時間であった。その後、防衛省の正門を後に靖国通りの上り坂を歩きながら四谷方面へ向かう。四谷駅近くではJRの線路沿いの土手にある桜並木を散策。学生のグループであろうか、シートを敷いて場所取りをしている面々を横目で見ながら土手を往復する。

桜見物を終えると、月本先生の案内により上智大学構内(現在、月本先生が教鞭をとられている)にあるイグナチオ教会の中へと入る。立教のチャペルと比べるとかなりモダンな建物である。中では月本先生の詳細なる解説付きであることは当然である。皆で荘厳なる雰囲気に浸っていると、タイミングよく背後よりパイプオルガンの演奏が始まり厳かな調べが教会中に鳴り響く。まさにこころ洗われるひと時であった。

その後は例のとおり、多少時間が早めだったが、商店街にある開店直後の居酒屋へ突入し、それぞれの近況報告をはじめワイガヤのひと時を過ごした。(この時に、山根さん登場で総勢10名に)
次回は、7月開催を約し早めの解散となった。
(記・橋詰)

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九期生・編集チーム