人間には物への所有欲に関して2種類のタイプがある。みんなと同じものを持っていたい人と、人と違うものを欲しがる人。いや、大多数の人びとの心はその間で揺れ動く。私の場合、「ゲンテイ」や「レア」などの枕詞に見境なく惹かれる。それで何度となく買い物に失敗した。それでも懲りなく今に至っている。
閑話休題。ウィスキーの話である。この原稿を特別なウィスキーを舐めながら執筆している。プライベートカスク・シングルモルト・ウィイスキー。発芽した大麦のみ(シングル・モルト)を原料として個人的に占有する樽の中で熟成させたウィスキーを意味する。
静岡市の面積の8割を占めるオクシズ(奥静)にあるG社の蒸留所をめぐっては、多くの物語がある。静岡市産の杉材で作られた発酵槽や直火蒸留に地元の間伐材を薪として使うなど、静岡の自然資源を最大限活用した独創的なこだわりに対して、自然はかけた手間以上の恵みをもたらしてくれたかのようだ。
プライベートカスクオーナー制度は、蒸溜所との間に契約を交わし、初蒸半製品を樽ごと個人で買い付ける。オクシズの貯蔵庫で樽は3〜5年間の眠りにつく。樽は容量50L前後と小型で、高温多湿の立地条件から、蒸発量は年間15%に達した。そのため熟成速度が速く、3年間の貯蔵後に瓶詰することにした。右上写真は樽から抽出したサンプルで、左端が初留で、その後の熟成過程は明らかだ。
ムラカミハルキの作品に、「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」というスコットランドとアイルランドの紀行文(1999年平凡社刊)がある。ムラカミさんはシングル・モルトの生産で名高いアイラ(Islay)島のある蒸溜所を訪ねた折に、マネージャー氏から次のような哲学を聞かされる。
大麦・水・泥炭の質についてあれこれと評価される。もちろんそれらはアイラ島ウィスキー作りに重要な要素ではある。しかし「……..でもそれだけじゃ、ここのウィスキーの味は説明できないよね。その魅力は解明できない。いちばん大事なのはね、ムラカミさん、いちばん最後にくるのは人間なんだ。ここに住んで、ここに暮らしている俺たちが、このウィスキーの味を造っているんだよ。人々のパーソナリティーと暮らしぶりがこの味を造りあげている。それがいちばん大事なことなんだ……..」。
50本のウィスキーが自宅に届いたのは今年の初春である。無加水でありアルコール度数は61%と非常に高い。そのうち約1/3を親族に贈呈し、1/3を知人・友人たちに製造原価で譲渡した。興味本位に5本をネット通販経由で市中販売した。 すでに市場価格なるものが存在し、製造原価の2 倍を超えて取引が成立した。不思議なことに、知らない人に高く売り渡しても、達成感や感動は全く湧かない。経済的価値と社会的価値の乖離を自覚した。
左の写真がそのウィスキーである。ラベル上の付箋を貼った部分には2人の孫たちの姓名が印刷されている。その表記がこのエッセイのタイトルでもある。もちろん孫たちが二十歳になればこのウィスキーを譲るつもりだ。(7期生 黒田豊彦)
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