KISSの会から年一度、投稿の機会を頂いていますが、加齢のせいか、活動範囲を狭めた為か、今年は何を書かして頂こうかと頭を悩ます時間が永くなってきています。

毎月同期の皆さんの投稿を読ませて頂き、参考にさせて頂いていますが、原稿を考えることより、RSSC時代を懐かしく思い出し、当時の授業や、チャペルでの礼拝、クリスマスイルミネーションの点灯式、そして共に学んだ友人たちの面影などを懐かしむことに時間を取られ、原稿はついつい後回しとなってしまいます。

現在、私は、仕事からは解放され、自由気ままに、何の不自由もなく、後期高齢者としての生活を楽しんでいますが、反面、残された人生をどう過ごすべきかという贅沢な悩みへの対処に頭を悩ませています。最近、学生時代、会社、趣味仲間からのお誘いが増えて、集う機会が多くなっています。皆さんは、同じように感じることはありませんか。

当然と言えば当然なのでしょうが、私は仕事上の責任から解放され、自由に動ける時間が増えたことで、お付合いの範囲も自ら狭め、数は増やさなくてよいが、気心が知れた仲間と年数回、生存確認を兼ねて、残りの人生を語り合うことができれば、それで十分と思うようになっています。そんな気のおけない友と会うたびに話題になるのは、世情、昔話、家族状況、健康状態などが主ですが、加えて、仲間や、知人のご不幸や消息についての情報交換が増えてきています。

例えば、会社に入った同期は同じ部に五人配属されたのに半数以上が亡くなったとか、大学のクラブ仲間でも何人かとは連絡が取れなくなってどうしているのか気になっていたが、最近亡くなったのを知ったとか、体調を崩しているようだなどの話題の占める時間が多くなっています。

そんな時に私が問いかけるのは、「僕たちは、後どれくらい健康で、元気に、生活できるのだろうね?」、「飛ぶ鳥、後を濁さず、を実践するにはどうしたらよいのだろうね?」、「人生の砂時計が落ちきる時は、どう感じるだろうね?」などです。

こんな問いを自分にも問いかけていますが、そんなきっかけを作ったのは、半年ほど前に目にした日本経済新聞のコラム春秋に掲載されていた記事です。

「棺おけに片足を突っ込むーー。役割をほぼ終えた、の自虐暗喩だが実生活で、そのような行為に及ぶ機会は通常ない。所感を聞こうにも語ってくれる先達もいない。中略、「初めての還暦を迎えまして」は長嶋茂雄さんの名ゼリフだが誰にとっても初体験、それが死である。」

「高齢化が進む日本で死者数は増え続ける。2040年には170万人とも。一方で、かつて宗教や地域、家族など共同体が担っていた弔いの絆は細って久しい。当人が直に死と向き合わざるを得ない時代だ。(後略)」です。

そしてその最後の部分に学生時代に習った懐かしいラテン語が並んでいました。

「メメント・モリ(死を想え)」は、中世の修道院での日々の挨拶だったらしい。返す言葉は、カルベ・ディエム。その日の花を摘め、すなわち今を生きよ。」
とあった。

人は生を受けた瞬間から、死に向かう。現在地球上の各地で戦火が止まず、生き辛さは益々過酷となってきている。歳を重ね、残り少ない人生かもしれませんが、砂時計の落ちきるまで私たちは精一杯生きて、よくぞ人間に生まれたものだと喜び、今、この瞬間を楽しむ、そして、この喜びを私たちに続く世代に繋いでいけるようにしたいと思う。 
Carpe Diem!(7期生 矢野 泰秀)

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